いま、風潮としていえること。加害者と被害者がいるとすると、
加害者を叩こうとする人が多いんですよね。
でもよく考えてほしいのは、実は加害者に対して、
被害者と同じダメージを味合わせる、貶めようとする意図が強いなと。
社会が加害者を、被害者に突き落としてるだけなのかなと思うんです。
これは社会が制裁のように、敵討ちをしてる感覚があると外からも感じる。
意外と社会が「加害者寄りの心理状態」で発散してるような感じがするんですよね。
加害者を攻撃することで、社会がかくれ加害者になりすましてるような感じ。
たぶんね、ウックツしたものがそれぞれ潜在的にあって。わかりますよそりゃ。
でもいじめてる人をみんなでいじめるのって逆に怖いことだなぁって思うんですよ。
加害者と被害者の問題が、いじめかどうかはともかく、犯罪や事件事故でもね。
ワタクシの実感で加害者をこらしめてもなにも良くならないなろうなぁと思うんです。
こういうときは、被害者を助ける、寄り添うということを第一にすべきなんだと。
傷ついた被害者を助けて、悪いことをしたと、加害者本人に気づいてもらうこと。
このほうがよくないか?って思うんですよ。単純には、いかないんでしょうけどね。
加害者の側ってのも十人十色だろうし、原因が被害者にあったり、いろいろ。
でもひとつの視点として、叩こうとする心理を社会全体で増幅させていく風潮はどうか?
みんなキリキリして、失敗できずにイライラしていくような気がするんです。敵だらけにする。
なにも加害者を見逃せとか、許せとか、そういうんじゃないんです。
叩きやすいところを叩いて発散する構図をちょっとやめてみたら?って思うんですよ。
向かってくる人に対して、人は防御姿勢を高めるし、強度が上がるでしょ?
直接来ると自分を客観視できるイトマを与えられない、気づけないんです。本人が。
自分が何も言われないって状況は、人に深く考える、改める機会を与えることもある。
誰かから言われて直すことより、自分で気づいて自分から直すほうが効果あるでしょ?
イヤなもの、ダメなものを排除したい傾向が強くなりすぎている。たぶん、
それで苦しくなるのは自分たち自身なんだよって気づけないのではないかなと。