受け手=何かの情報や経験を受け取る側にいる人・・・とすると、
この受け手にいる人間の育ち方が一番影響があるんだろうな。
受け手は常に送り手の意図を理解できている存在とはかぎらない。
見えてなかったり、気づいていなかったり、まだ経験してなかったりする。
生まれたとき、みんな赤ちゃん。受け手であり、そして受け身ですね。
徐々に自分の意思を出し始めるんですが、うまくいかずに泣く、思い通りにいかずに泣く。
この状況での手の差し伸べ方、差し伸べて叶えられることの有無で変わるんだろう。
育ってきた環境が違うか~ら~ああ♪ってなもんですよ、ほんとに。
否めないけど、しょうがなくはないんですよ。やれるだけ頑張ってみてよ。
たぶん、親の気持ちはみんな叶えてやりたいってことでどの時代も変わってない。
ただ、叶えられるモノやコトがその時代や状況に、存在したかどうかで、
叶えられる時代になった平成、令和。親も周囲も叶えてやれるから叶えちゃう。
ゲームほしい、やりたい買って!おもちゃほしい、買って!スマホほしい、買って!
洗濯機、テレビ、掃除機、パソコン、スマホ・・・。どんどん叶え続けます、延々、永遠と。
あったら便利だ、助かる!を叶えてきたのはその負担を軽減させたい思いがあったから。
負担を実感してきた世代は、負担や大変さを知る分、便利さがありがたいと思えた。
ガマンして達成したことはこの上ない。ガマンしたらすぐに無くても平気だなとも実感する。
だから叶った喜びもこの上ない。カラッカラに乾いたのどを潤すただの水道水さえも。
叶えられなかった昭和までは、ガマンしなさい!頑張って自分で稼いで買いなさい!
その場で悔しさや落胆を覚え、それをバネにして励ますという精神論?で乗り切った。
のちに、そのガマンや忍耐、反発力が別の意味で生きてくる貴重な体験になるのだが。
こればっかりは経験しないことには結局、もどかしくて伝わらないもんなんですよね。
若い子にはソレがあるのが当たり前だから、無いときの負担や努力を問いかけても
やっぱり、どうしても知ろうとは思わないんですよ。だって最初からあったし・・・ってなる。
古い人には、不便や負担があるのが当たり前。
新しい人には、その同じ不便や負担がないのが当たり前。
若いころは「こうだった」んだから、こうしろとはもういまの時代は言えないけど、
「こうだった」ことはいまにつながる、役に立つんだよと諭しても説得力がないからツライ。
それだけ言葉で説明するのは難しく、時代背景や常識、価値観などのバイアスもある。
僕らがいまの若い世代の人だと仮定して想像してみても・・・同じようにしてるでしょ?(笑)
便利なものにちゅうちょなく頼り、使いこなしてうまくやろうとしていくでしょうね。
そして同じようにオトナはうるさくて、しょうもない奴らしかいないと高を括る、これも同じ(笑)
でもね、それは結局は同じ人間だから、そうなっちゃう。しょうがないよ!って論理に変える。
ただそれじゃ過去、現在、未来・・・どこにでもいる誰かと変わらない人しか出来上がらない。
本質の変わらない人間をその時代その時代で量産し、それが連綿と連なっていくだけ?
あらがえないものを受け入れて、止められない流れのまま、また戦争しちゃうのかな(笑)
数々の失敗や経験を、新しい製品にキチンと活かしてきた企業に属していても、
いざ人間という、ジャンルになるとまったく活かせなくなってしまうのが不思議・・・。
モノや機械のように単純に処理できないのが人間だから。人間には感情がある。
処理する側にしたら、感情は、スムーズさを邪魔をしてくれる存在として位置付ける。
便利になると人間も「うまく処理したがる気持ち」が先に立ってくる。人でもモノでも。
効率的にコスパ良く処理してる自分に酔いがちで、処理の上手さや速さで優劣をはかる。
人間自身がシステムや効率化の枠に、好んで入り込んでいってるんじゃないだろうか。
僕らはもしかしたら機械のようにシステマチックに扱われるほうがラクだからだろうか。
機械になろうとしてる人間って・・・やっぱ気持ち悪いじゃないすか(笑)
所詮、AIや機械にスペックで到底敵わないとわかっているのに・・・機械と処理速度競ってく。
機械を操る側にまわってるようで、実は機械に操られている気もしませんか?
AIがはじき出したら、人を殺したり戦争したりにもゴーサイン出しちゃうんでしょうか・・・。