なんだろな、全部欲しがらなければ意外と大丈夫なんだけど。何事もね。
うまく整えようとチカラを発揮してくる相手にも、やはりワタクシは何か違和感がある。
相手の歩幅やスピード、こころの持ち方や捉え方、さまざまな尺度がある。
前者のようなチカラ技でうまく整えようとするタイプは強引に自分で押し切りにくる。
ああ、なるほど。この手の人は他人の言い分や立ち位置も響かねえだろうなぁって思う。
たぶん、慕われているようでそうでもない、強引が目に付くgoingなサマ、あり様。
主に経営者に多いですね。その関係づくりのやり方が成功した時代だった。
こういう人たちと距離をおくだけでは何も解決はしない。いい意味で闘わなきゃ。
嫌なものに触れないで放っておく、という案外やってしまいがちなパターンは、
向き合い方がおんなじなんです・・・若い人たちが馬鹿にしがちな古臭い人間と。
お前に何がわかる的な物言い、見方をしてくる人がいるでしょう?同条件を強要する。
大概は違う角度で考えたら、違う見解や視点があることも、本人は「認めない」んですよ。
防御姿勢が相手からヒシヒシと伝わるようなときって、こちらをも萎えさせる(笑)
高度な人は防御していることを見せずに、お茶どうぞ~。と差し伸べてくる。これも厄介・・・
しょうがないで済ませてきたような、柱の隅っこに寄せられた社会の成分不明のホコリを、
どうにか視点を変えて動かすチカラに変えられないのか。・・・かなりの盲点になってる。
ホコリは、見方によってはゴミやチリのような埃にしか思えない人もいるし、
別の人からみれば、なくなく虐げられたそれぞれの人の誇りでもあると思うんです。
下にいる人は、上にいる人が手を差し伸べてくれるのを延々と待ってるけど、
それが上の人に都合がいい手であれば、下の人にしたら魔の手にもなるでしょ?
本当は上の人は、下の人の目線に降りてしゃべらなければならない。
しかし、ほとんどの上の人は自分の目線を結果的に降ろしていないんですよ。
降ろして合わせているようでも、相手に上からきてると感じさせてるならば、失敗でしょ(笑)
自分はこれだけやったんだ、手を差し伸べてるんだ、だからあとはあなた方次第・・・
みたいなね、こういう思考に上の人はなってしまうんだと思いますね。
「やってやってる感」を相手に感じさせてしまう。それ以外の方法試しましょうよ(笑)
上に立つ人は、同じレベルの目線でみることを相手に要求しがちになる。
相手が10段も昇らせられる階段と、相手が5段昇らせられる階段、どちらが心動きやすい?
同じところまで上がってこい論理では、もう限界なんですよね。負担でしかない。
同じお金もらえるんなら、同じところまで相手も上がってくるでしょうけどね(笑)
それは無理な話でしょ?お金でカバーできる社会じゃなくなると思いますよ。
そのときできることってなんだろう?まだやっていないことで相手のこころ動くのは?
目線も階段も、人を見る、関係性を築くことも、自在性があるほうが気づけるんですよ。
それが人としての幅を広げ、器量が問われ、相手の何かを動かすんですよね。
自分の前提で正しいと思うことを自分のステージから相手に上がれと要求するのではなく、
相手の視点を考慮して自在に動ける人が、最終的には選ばれるんだろうなと思いますね。