ワタクシもそうですけど、自分で知りたい、気づきたいんですよ。
人間の根底にある欲求のひとつだとは思うんです。
ドラマ、あなたの番ですの熱の上がり方を見てると改めて思いますね。
潜在的に求めていて人が前のめりになるのは、新しいコトや知らないコトなんですよ。
たとえば、こうだよって正解教えてもらうことってすごく為になり、安心かもしれない。
でも、自分で「自力で気づきたいこと」ってのもある。確実にある。
一方でまた、自力でなくてもとにかく早く知りたい、正解が欲しい人も多いです。
おそらくこちらのほうが、絶対数は多いでしょう(笑)、現代人の特徴ですから。
なんでも手に入ると、なんでもわかると意外につまらなくなりはしません?
これは不自由が当たり前だった時代にくらべるとぜいたくな悩みかもしれません。
でも、先に知ってる人ってみんなそうで、教えたがる(笑)
そんでね、自己陶酔してるかのように得意げに語りたがるんです。
コンサル的なものを生業にしてる人ってのは「先に知ってて、教えたがる」もの。
でもその手法って不自由な時代だったからこそ、成り立っていたものだと思うんです。
「教えたがっている人」と「知りたがってる人」はかつては良好?な関係だった。
バチっと答えを示してくれて、そのとおりやってみればあなたも!みたいなね。
でもたぶん、いまは「知りたがってる人」の求め方や質が過去とは変わってきた。
そこは知識やスキルを土台とした同じものを!ではなくなっていくということ。
コンサルやってる側も、うっすらと気づいてはいるでしょう。気づいてなきゃセンスない(笑)
あぁ、もう答え求めてくる人をカモれなくなるかもしれないと。
知らなかったというコト、考えもしなかったというコトに・・・おお、わかった!!気づいた!!
こういう自力でふとわかったとき、気づいたときの感動ってこの上ナイでしょ?
テレビやネットで、楽しませてくれよって思いながら批評家気取りしてる人も、
完成品を自分のフレーム越しで好き嫌いしてるだけ。まだまだテノヒラの上。
受け身のリアクションではなく、自分から動くなにかの仕掛けを欲しがっている。
「(クリエイティブな仕掛け+未知なる領域)×気づきたい欲求」なんですよ。
気づきたい欲求はもう確実にある。その爆発力もいまの時代だからこそかなりある。
でも大事なのは上のカッコの中を、独り占めしないコトなんですよ、おそらく。
(クリエイティブな仕掛け+未知なる領域)ってのを持ってる人や企業は
自分の主導権を当然、離そうとしないし、上から教えにかかる。
たぶん、それが成功しない手詰まりの要因なんだと感じます。
極端な話、「手柄」を開放して同じ土俵で一緒に考えて動かして共有するべきかなと。
仕掛ける側が10のチカラをフルに出しても、受ける側のチカラを1で制限してる。
受ける側をコントロールしたいがために、統制下におこうとして押さえつけてる。
仕掛ける側は一生懸命やってる。でも受ける側のチカラをほぼ活かしきれていない。
押さえつけて導こうとしても、相手は気分よく乗ってこないでしょう?
送り手が10で、受け手が1なら、10×1=10でしかないし、
送り手が10でも、受け手が5なら、10×5=50なんです。
両手動かさないで走ってみてください、ほらがんばって!!ってなもんですよ。
腕を前後に振れずにからだの側面にビタッっとくっつけたまま走らされる。
「やってみないことにはわからないこと」をやるにしても、大事なのは、
「一緒に参加し、意見が反映されて動いてることを実感すること」がカギになる。
用意されたことをただやるのではなく、やり方もアイデアも全部まるごと。
答えを求めるだけでなくて、手ごたえに近い互いの「応え」を求めてる時代なのかも。
これを徒然草エッセイ大賞に応募すべきだったか(笑)、これも好きなんですが・・・
残念ながら応募規定によれば、一人一作品のシバリがあるから。
応募作品はタイトルがまだうまくハマらない。
もう少し降りてくるのを待ってみようかなと思う。