弱者に対して強者のルートの正論では通用しないのではないのか?

 

こう仮説を立ててみると、ちょっと違う視点がみえてきたりしますね。

 

 

強者とは、ある意味で社会的に成功している人たちのこと。勝ち組。

 

弱者とは、いわゆる社会的な負け組というやつに属する人たちです。

 

 

強者は自分が成功した体験を、強い自信から確信に変えてきています。

 

だから、「こうすればいいではないか」という視点に一点のくもりもないと信じてる。

 

 

国や行政も言ってみれば、強者なんですよ。

 

正論が強い、強者と同じルートを歩めと弱者に敷こうとするんです。

 

 

社会的に問題となっているひきこもりの人も含めて、弱者たちを導こうとするルート。

 

なかなかうまくいかないですよね?完全に失敗してますよね?

 

 

自分の意思で起動できない人や、うまくやってこれなかった人を置いていく、

 

後回しにしていくツケは、必ず後の世代たちの負担となります。

 

 

失敗してるのはやり方に工夫がないからではないのか?

 

シンプルに、誰でも考えられる原因だと思いませんか?

 

 

でも、誰も触ろうとしないんですよね。自分の利益が脅かされるおそれがあるから。

 

どこまでいっても人間って自分の利益が優先されてしまう。

 

 

まだ十分育っていない作物を売れるからと収穫してしまう。

 

小さな小さなシジミ貝、まだ実の小さなトウモロコシ。あればあるだけ摘み取る山菜。

 

 

たぶん、ゴリ押し強者の国や行政のやり方もダメだし、

 

正論バリバリの清く正しくNPOでもダメでしょう。

 

 

この両者は両極端すぎるんです。救いたいあまりに自分の論理で近づく。

 

自分らのポジションに来い、上がってこいと言ってるに等しいんですよ。

 

 

おそらくそれではダメなんですよ。わかってる人もわかってない人もいるはずです。

 

1万円札しか通らない機械に、千円札しか持たない人を並ばせようとしてる。

 

 

あなたも一万円札持ちなさいよ、そしたら「並べるから」って言ってるんですよ。

 

でもね、並べるだけで最後尾に並ばせられるんです、わかりますか?

 

 

千円札は使えないけど、頑張って頑張って一万円札ようやく手に入れたって、

 

最後尾に、みんな順番だから守りましょうね、って並ばせられるだけなんです。

 

 

すごいでしょ?なんかおかしなーい?って言いたくなるんですよね(笑)

 

発想自体を変えないとたぶん、どんなに頭のイイ集団がやろうとしても無理。

 

 

どんなに正論で正しく清く助けようとしても合わせる先が、一万円札オンリーだと

 

なんにも変わりはしないんですよ、彼らを起動させることにはならない。

 

 

でも強者は「私たちは、助けようとしてるじゃないか!」と振りかざすんですよ。

 

失敗してるってことはたぶん、そこのズレが原因なんですよね。

 

 

大事なのは千円札も使える機械や機会を置くことでもないんです。

 

彼らの千円札のみで使える機械や機会を置くことなんだろうなと感じてる。

 

 

その方法は?何?教えてよ。じゃないんです(笑)、みんなで考えようよって。

 

この方法を弱者自身も参加して考えてみることから始まると思うんです。

 

 

ん~、たとえがイマイチだわ(笑)、でもジワジワくるたとえだと思います・・・

 

まぁでもなんとなく伝わってほしい、そんな感じのニュアンスで感じてほしいかな(笑)