年をとると、どっちなのかな?と思うんですよ。
死にたくないのか?長生きしたいのか?
死ぬのが怖いからなのか?
もっと生きて人生を楽しみたいからなのか?
死にたくない。死ぬのが怖いというのは、
やっぱりその状況や年齢になってみないと
永遠にわからないことなんだろう、とは思う。
若いとすぐに、その気になれば死ねるみたいな言うけど。
逆に死にたくても死ねないっていう人もいるんだろうな。
実際にいろんな人がいるから死ぬとかなんて、
軽はずみに言えないし、言うべきでないって論調もあるけど、
そのリスク回避は物事を先へ進ませないだけ。
それっだけでしかない。まさにただの回避のみ。
実際に、私たちの生きてるいまの時代ってのは、
生き永らえるためにすべてを尽くせば、物理的には
どんなに無様になろうが、死なないで寿命を延ばしていくことは可能でしょ?
感情も喜怒哀楽すべて落として、生き続けるためだけに「処理する」ならば。
なんかもう、すべての人間に、すべて等しくやろうとして、
すべて崩れ去る予感しかない。
簡単に決められなくなってしまっているんですよ。社会全体が。
自分で決められないくせに、決めたことには文句言う。
そもそも現状維持が当たり前で、その上でのプラスを求める。
現状の維持はただの願いであって、当たり前に叶う願いではないからね。
意外とどんな場面でも現状維持したがる人、増えてますよ。
要らないもの持たないで、着の身着のまま、
助け船に乗ろうとすれば、そこで少し人生も、軽くなる気もするんですけどね。
みんな両手いっぱいに荷物抱えて、他の二人分のスペースつぶしてまで
助け船に乗り込んでくるでしょう?(笑)
助け船でスマホ充電できないの?っていうんでしょうね、こういう人らは。
そういう究極の選択の場面でも、あれもこれも捨てたがらないし、
自分のいま、現状を下回ることを受け止めたくないほうが、上回る(笑)
「死ねない」のがしあわせか、「死なない」のはしあわせか。
これから先、避けて通れない議論になるんでしょうね。
なんなら倫理観を上回る?下回る?について決断しなきゃならないかも。
そのとき私たちは、やっぱり捨てていかなきゃいけない。
年金や医療、介護という助け船に対して、普段の生活で、
どんだけ、なきゃないなりにやれるのか。
若いうちから「最悪、無くても死なない」って体験
しといたほうがいいと思いますね。
特にいまの若い人たちはね。「無様慣れ」しておいたほうがいい。
そのうち大変なことなるよ(笑)