野球の球数制限問題でいろいろな意見が出てるみたいですね。
個人的には、本人が投げたいならば投げさせてあげるべきでは?
プレーしてるのは当の本人。いろんなリスクも百も承知な時代でしょう。
たしかに時代が違うが、リスク回避のメンタルが染みついてしまった意見は、
当の本人たちが困難に直面したとき、逃げてしまう悪いクセをつけてしまうかも。
そういう見方もあると思うんですよ。
世の中には、チカラを出し切れたり出し切れなかったりしている人も多い。
外野(周囲の第三者)がケガの結果論だけにフォーカスして議論するのとはまた違う。
プレーしてる当人たちは野球に打ち込んできて、すべてを、集大成をという気持ち。
運動部のみならず、文化部であってもその気持ちはわかるはずですよ。
気持ちで乗り越えるというのがナンセンスだというのが常識化してしまって、
外野が育成ゲームかのように、都合よく育てようとしてないか?
サッカーもそう。あれこれこうすればいいとかが「聞こえすぎる」世の中。
練習して身につけて、チカラを発揮して勝利、達成していく。
この成功体験を過保護すぎるくらいに奪う権利は当人以外にないはずでは?
たぶんどこか、うまくやろうとしすぎてイビツになってきた社会に飲み込まれていて、
コンプライアンスがヘタに染みついてしまっていて、リスクの捉え方が一方的すぎる。
あれもこれも言うな、うるせぇよ!外野は黙ってろって。
おまえらのゲームのキャラじゃねんだよ!って気持ちが高まっていると思いますよ。
評論家気取りが可視化される時代になった罪はほんとに大きい。
それをなんも考えずばらまくマスゴミ界隈も相当に罪深い。
よかれと思っては、あなたの胸のうちだけであってもいい。(ワシもか、笑)
納得いくまで練習して、壊れてもいいからやりきりたいという気持ち。
もちろんケガという側面からみると、将来後悔することもあるかもしれない。
ただそれは失敗したという側面に「フォーカスしすぎてしまう」から。
それがなければ、いまごろは・・・なんて都合よく考えてしまうのが人間だ。
困難に直面してそれを乗り越えていく、挑戦意欲という側面においては、
人生において、それ以上の自信を得たり、経験から学ぶものがあると思う。
リスク回避世代みたいなことを過去にも書いたが、
このマインドが蔓延しているような気がするんですよ。
ワタシ失敗しないので、に憧れるのだろうが万人に刺さってはいけない言葉。
失敗するかもしれないけど、挑戦しなきゃ成功もしない。
人が成長するとき、リスク回避はある意味で、忌み嫌うべき行為でもある。
みんなキレイな道を失敗なく歩いて、スタイリッシュに振る舞いたい欲が強すぎる。
汗臭くても、泥臭くてもやるべきこともある。そのくらい恥ずかしくもなんともない。
限界を超えても自分が挑んだ軌跡を後々、受け止めるのもひとつの成長につながる。
周囲は、挑んだ人の肩に手を置いてやるべきではないのか。
それは止めることではなく、ねぎらう気持ちの、肩に手であってほしい。