日本の誇る?おもてなしってなんだろう。
おおむね、やさしさやこころづかいっていうところだと思うが、
はたして私たちは日常、そんな振る舞いを「自然と」できてるか?
これはみんな自信ないだろうなぁと思う。
最近は人との関わり合いにおいての質感が変わってしまった。
むかしのような、あれもできればいいなぁ、でもできない。だからこそ、
みんな大変だから助け合う、おたがいさまな関係性のなかで
自然に振る舞えた素直な肌感覚のもの。
時が過ぎて、あれもできればいいなぁ、でも「できるようになってしまった」
そう、できるような社会になってしまったんですよね。
なきゃないで、互いに助け、補い合うこころを自然と身に着けるんです。
でもあったらあったで、逆にそのこころが互いに働かなくなる、
遠くにいってしまうんですよ。
中流社会の維持を目指して、無理してでも少し上のステータスをと振る舞う。
コギレイに整えた広告に触発され、ビジネスの渦に巻き込まれ消費を促される。
整えた者は少しだけ優越感が増すように出来ている(笑)
整えられない者はなぜか恥ずかしさを感じ、劣等感を増幅させるような気もする。
みんながそうやって整えると、意外ともう助けなくても平気だよね?となってしまう。
ステータス的な要素が「ナシ・ナシ」の関係だから気兼ねなくできていたことも、
「アリ・ナシ」や「アリ・アリ」の関係になると変な気の遣い合いが起きてしまうのだ。
これは不思議な感じがしますけど、現実そうだと思いますね。
滝クリでいろんなことをババババッて思いついて書いてみたが、
結構コレ、大事な視点だと思うんですよ。
私たちが現実問題、「ナシ・ナシ」の関係に戻ることはほぼないでしょう。
自然災害や戦争なんかですべてを失うリセットがされないかぎりは。
自分のなかの欲との闘いなんだろうなぁ。
モノでおもてなしするのもいいんですが、ちょっとさみしい。
なんか無機質な感じで、温かみがない現代社会そのもの。
画像や動画、機械やAIなどの、「モノ⇔ヒト」の関係でしょう?
「ひと⇔ひと」のような、ひらがなのひとのようにやわらかい関係がいいな。
たぶん高度成長以前は存在した「ひと⇔ひと」の関係。
まずは「ヒト⇔ヒト」でもいいから取り戻すことができたらいいですね。
うまいこと書けました(笑)