まったくの他人に話しかける勇気が減って久しい。
勇気というか、当たり前のコミュニケーションの一歩が重い。
他人を信じられない雰囲気や、凶悪事件等の影響もある。
しかし、他人との関わり合いをいったん拒絶してしまうと
わずらわしさがなくなって、一時的には気楽になるのはたしか。
「いま話しかけんじゃねーよ」の正当化が認知され出していった。
ホントはみんな人の話を聞くように育ってきたはずなのにね。
んで、次第に「なに勝手に話しかけてきてんだ?」となっていく(笑)
みんながその距離感を取ってしまうと、かつては声を気楽にかけてた人も
ちょっと躊躇してしまいがちになってしまっている。
声をかけると怪訝そうな顔を向け、話しかけるなオーラを醸し出す。拒否権発動(笑)
それを敏感に感じ取ってしまうから、なんだかさみしいなぁと感じることもある。
世間が警戒心を強めれば強めるほど、そのほんの一部しかいない人(ヤバイ人)も、
もしかしたら余計に孤立を深めてしまうのかもしれない。
そして、その一部の何万倍、何十、何百万倍もいる普通の人たちも
次第にコミュニケーションを取りづらい環境に追いやられてしまっている。
いわば、一人のためにみんなが犠牲になる典型がここにもある。
時代がこうだから、こっちから話しかけて恥をかきたくないという気持ちも強くなってる。
この傾向はご近所づきあいの有無が言われたころからだから、
もうたぶん四半世紀以上は経ってるのかな、もっと前の80年代ごろからかな。
だから家族ひと世代がご近所とうまくコミュニケーションとれないという
恐るべき現実が都会のくらしにはあるのかもしれませんね。
そして年を追うごとに日本全国に波及して当たり前になってしまったなと。
年寄りもそれに迎合していったからダメになったんですよ。
実は最後の砦だったと思うんです、いまのお年寄りたち。
彼ら自身が背中で示す「愛情と威厳の入り混じった存在感」を喪失してしまった。
それでもね、やっぱり話しかけられることはみんなキライではない。
たぶんそれが当たり前だったお年寄りや中年以上の世代だけじゃないですよね。
いまの若い人だって話せばわかる。ほんとはそうだと信じてるところもある。
慣れですよ、慣れ。
まだ生きてきたなかで、そんなに「助けられていない」からだと思います。
見ず知らずの他人のやさしさにも、少し慣れていないから戸惑ってしまう。
その手を差し伸べて、受けてくれるまで失敗しても二度、三度と続けるべき。
僕らだってさんざん、失敗して恥かいても生きてきて、わかるようになれた。
いまの子たちの親御さんも少しナーバスすぎるきらいもある。
ただまさか自分の子が、なんてことないとも言えない世の中。
もんのすごく判断が難しい世の中だけど、全部怖がってたら、
家から一歩も出れないし、声も出せない、あれ?こんなに声出してなかったのかって
人生になってしまうのかもしれません。
武力には武力で、そっちが解除ならこっちも解除してやる!みたいなね。
ちょっと違うか(笑)
一人で生きていけるかもしれない。でも独りにもなってしまうほど
なんでもそろう世の中が逆効果に私たちにはたらいて、
何か大事なものを失わせてしまったのではないか。
おはようさん、今日も暑いねぇ~
それだけでいいと思うんです、すぐに相手が応えなくても。
相手がしかめっ面や無視。まぁまぁまぁまぁ・・・あきらめないで~(笑)
何十年とここで断絶して進まないんですよ。
ココの突破がカギなんですよ。
シカメッツラソンなんですよ。しかめっ面、損。
前も書いたなこんなネタ(笑)
全然関係ないけど、女子プロゴルフの渋野さんの笑顔。
わかるでしょ。アレひとつで変わる。
すぐに効果が出なくても、人間はアレひとつ、
アレきっかけで変わる気がするんですよ。