人間、ひとりで前線に立ち続けて生きることに越したことはない。
そらぁカッコよく映りますよ、自分自身のフィルター越しなら。
最近はなんでも完璧にこなそうとする人を評価する傾向にある。
そして妥協してる人や、過ちのある人を責め立てていく雰囲気をつくった。
かなり窮屈になってしまうのだが、あとの人のことは考えないもしないで自分のことだけ。
自己責任、自己プロデュースを標榜しながらスタイリッシュにこなして生きる。
時代を謳歌するような人、彼ら彼女らは輝いている(ようにみえる)が・・・
世の中もなんとなしに、目先の有利にくらまされて生きているが、
キレイゴトと正論がごっちゃ混ぜになっていてかなりのカオス状態である。
一部の理想を叶えられる位置にいる「ウラヤマシガラレ人」をあがめているが、
そのとおりやってしまうと社会全体としてはギクシャクしてしまう。
あの人みたいに・・・って思いに駆られて、そこを目指そうとしてしまう。
大衆レベルでも、昔よりその傾向が強まっているように感じるんですよ。
一種の憧れや羨望をウラヤマシガラレ人に対して持っていて、
ワタシもそうしよう!そうやってみよう!みんなもそうしようよ!ってなる。
みなまで言わないまでも、明らかにその雰囲気をつくり出してしまう社会だ。
本当に必要?ってハードルをどんどん上げ続けてしまうことになる。
でも実際は、私たち一般レベルの人間にとっては、
ものすごく負荷がかかることをやろうとしているだけではないか?
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、誰かに認めてもらえないと思い込む。
次第に息苦しくなり、ストレスを募らせ、我に返るのだろうか。
自ら進んで、後先考えずに「精神と時の部屋」に通い詰めて、入り浸ってしまう。
負荷をかけ続けて、高みを目指そうとするウラヤマシガラレ人を、
キラキラと輝いているようにみえる彼らを支持してることで、
自分を支えてるかのように。
正論を掲げるのは結構。そりゃそうでしょうよ(笑)、としか言えない。
ただ、私たち日本人は自分の制御装置を持たない人が多いんですよ。
良くも悪くも主体性や自分の軸を持たないから、ブレブレにさせられ続けてしまう。
あっちがいいといえば傾き、こっちがいいとなれば今度はこっちへ傾く。
ついて行って、できてるうちはそれでいい。
しかしそのうちあれもこれもムリだ!!ってなるんです。
重要なのは、ウラヤマシガラレ人のフィルター越しにみて、
自分を成り立たせようと思わずに、自分自身のフィルターを持つことだと思う。
SNSなどでより距離感が縮まったこともあって、より身近に感じるのだろう。
しかし、すべての人がウラヤマシガラレ人たちと同じ環境にいるわけではない。
「要らない勇気と希望」を情報のなかであふれさせ、溺れさせられる。
そして本来意図しないところにまで、変にエスカレートしていく。
自分を制御できずに「そうだそうだ船」に乗せられたまま熱を帯びて広がっていく。
この船を降りなければ、私たちはとんでもなく忙しい、息苦しい世界へと、
連れていかれるのかもしれない。途中で降ろされたり、降りる決断をも、
自己責任ですからと足蹴にされて、呆然と立ち尽くす自分がいるとしたら・・・?
遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、そういう人がこれから出てくると思いますよ。