人間同士が究極の選択においてどちらとも判断できない場面に、
私たちは、そのうち出くわすと思います。
法律を拠り所にするんでしょうけど、人間として人類として、
本当に正しい選択なのか?を突き付けられる局面がくると思います。
さぁ、そのとき私たちはどう決断すべきでしょうか?
自分の損得を捨てる感覚、いい意味で時代の捨て駒になる腹を決める感覚。
私たちはそんな苦渋の決断もできるでしょうか?
あまりにも選択肢が増えすぎてしまっているんです。
次々と問題をあれこれと突き付けられ、処理しきれないまま次から次へと・・・。
そして「すぐ答えて!間違えないで!全部やって!必ず成功して!」って促す。
どちらも大事で、どちらの言い分もわかる。どちらも正論だといえる選択肢。
正誤の判断が難しい問題を1分以内に100問解いて全部正解しなさい!って
言われてるような気分になります。苦笑いしながら無理でしょって(笑)
ワタクシは現代人があまりにも清廉潔白さを求めすぎるのではないかと感じますね。
さらには「すべてをうまく成功させるために、最短で最高の最善の選択をすべき」と、
100%の成功率を要求する圧力が高まりすぎて、異常すぎる社会だとも感じます。
高校野球の佐々木投手の問題、ディープインパクトの死の原因が種付けの酷使だとか。
なんだか原因をみつけて糾弾し、正義の鉄槌を下す快感に浸りたいだけのような。
よしもとの問題もそうですね、マスコミも追い込み方が昭和と変わらぬまま。
なんにも反省してないですよね。そらぁマスゴミいわれちゃいますよ(笑)
思い切って失敗を社会全体が認め、許してあげるべき時代なんじゃないか。
許さないことが緊張とストレス、心理的にも肉体的にも負荷をかけ続けていく。
オフモードが許されず、監視され続けながら演じ続けて、ミスの欠片さえこぼすことなく、
息が詰まりそうな雰囲気を生きていくのは、どうなのか。それでいいのかと。
やがてその魔の手は自分自身にも伸びてくるんですよ?と。
ほんとはバカボンのパパよろしく、これでいいのだ!と気楽に少しテキトーでいい。
全部を正しくやろうとして、最後の最期、パーンッて破裂して全部無くなってしまう。
そんな気もするんですがいかがでしょうか?
それでも、これでいいのだ!と言えるんだろうか。