託すってなんだろうか。

 

近いところでよく聞くのは、政治家に私たちの一票を託す・・・。

 

このやり方、誰かに託すやり方は・・・結果何十年と改善してないし、

 

間違ってるんじゃないんですか?とみんな思ってる。

 

 

かといって、政治にも選挙にも明確な答えを持ってもいないし、

 

自分たちでは無理だからって託して(逃げて)るんですよ。

 

ホントは逃げも隠れもしないで、堂々と託してるって言いたいところですが、

 

この一文には逃げ手(逃げる人)が隠れてるんです。

 

 

ワタシもアナタも一般市民はだいたい逃げてるんですよね。

 

自分のことだけで、その周辺のことだけで精一杯。

 

でも人間っていつも自分のいまある「現状を維持しつつ」上積みを望む。

 

このカード、絶対捨てないんですよ。

 

現状維持したい気持ちはわかります、でも維持できないならどうするか?

 

これを考えて話し合ったほうが建設的だと思うんです。

 

 

現状が低下することは望む人は誰もいないってのは正論です。

 

でも世の中すべて、現状から下がらないことは、あり得ない。

 

現状維持しようとすると、自分の要求を満たそうとすると、

 

将来、子や孫に迷惑かけるんです。借金増えるんですよ。

 

そしてどんどん死ねなくなる社会になっていくんです、矛盾するでしょ?

 

生きていることは、命は尊いのだけれど、生きてること自体が負担になる構造。

 

 

人間以外は自然も動植物も、人工物もすべて現状から下がることを

 

受け入れているんですよ。受け入れざるをえない。

 

その原因の最たるは人間であり、自分だけ特別と思いたいのも人間だけなんです。

 

ものっすごい問題児ですよ、地球上で(笑)

 

 

みんな勘違いしがちですが、すべての現状を維持することを

 

国も行政も国民に対して、保証も保障も、補償もしてくれないと思うんですよ。

 

すべての人を救い続けるということは、できません。

 

だから自分で稼げってのは、ある意味では正しい。

 

ただ、すべての人には当然当てはまらない。

 

 

年金ってそもそも制度の発足当時の平均寿命である程度つくってる。

 

ここまで長生き「しちゃう」のを想定してたのかはわからない。

 

でも、まずは救うべきって人がいたからつくった制度だとは思う。

 

 

10のうち1や2を救うためにつくった。残りの8は任意のイメージ。

 

日本人ってそこまで頼り切る国民性じゃないよな?って信頼のもとで、

 

少し横柄だが国も引っ張っていくリーダー資質を、高飛車に見せていた。

 

ある意味、国民をシモジモの者とし、「一家の長」としての気概があって

 

できることなら救いたいと、舵を切って進んできたんだろうと思う。

 

 

死ぬまで年金支給するけど、死ぬまで生活を保障してほしいってのは?

 

そこまで甘えるようになってしまったのか・・・育て方を間違えたか・・・。

 

少しそんな気持ちを政府は持ったかもしれない。大事な気概を奪ってしまったかと。

 

 

戦前から戦中、戦後を知る世代が浮かれすぎてしまったのだろうか?

 

たぶん高度成長時代に乗っかって右肩上がりを想定してつくった制度。

 

人口ピラミッドも、物価も賃金も、何もかも変わってしまったわけで。

 

いまのお年寄りが、かつて社会を支えてた現役時代、

 

そのときとの老人の数とはもう違う。

 

 

こんなにもからだごと預けてくるとは・・・。

 

国に対して、サービス当たり前の感覚に成り下がった国民。

 

人間って安心生涯保障があるとダラける本性があるんではないか・・・?

 

 

大きな声では言えませんけど・・・借金を未来に託しますか?

 

 

高齢者世代が「ボクのもの!ワタシのもの!誰にもあげないもん!」って

 

駄々をこねて抱えて離さない資産、将来の不安のため、貯めときたい・・・。

 

気持ちはわかる。でもそのお金を未来の子や孫の世代のために、

 

高齢者自身が助け合うために託すことはできないか?

 

 

行政に頼るのではなく、非課税にしてプールする銀行みたいなのがあれば。

 

自分たちにかかる必要以上のお金をそこから工面し、助け合う。

 

若い人の負担にならない。個人資産1000兆円はくだらないというポテンシャル。

 

 

ワタクシは前にも書いたが、70歳以上の選挙権を失わせて、

 

この1000兆円を自分たちの自治権で「大きな組織」をつくって

 

自らアイデアを出して、自らカネを出してつくっていく。

 

死ぬまで出世争いはしないでしょ、もう横一線でいい。

 

 

そういう動きがあっていいと思う。互いにアイデアを惜しまずに、

 

未来のためにお金を託し、自分たちのケツを自分たちで拭く。

 

長年気持ちの奥底に抱え込んだ、こうしたかったんだって

 

アイデアがたくさん出てくるかもしれない。

 

たぶんこういうハコを社会でも潜在的に求めているはずだ。

 

 

ワタクシなら逆にこういう高齢者に託したいし、喜んでサポートしたくなる。

 

託すというのは、返せば自らにタスク与え、起動させることでもある。

 

ダジャレっぽいがそう捉えてやれることがたくさんあるはず。

 

人が集まって本気でやれば、まだまだ眠ったアイデアは出てくるのではないかな。

 

 

今日も熱がこもった長さ(笑)、削りたくないですね~(笑)

 

わっかりづらいですね~、でもこんなん(困難)も好きなんです、申し訳ない。

 

読んでくださった方、いつもありがとうございます。