最近は、他人が不意にくれるやさしさに対しても、

 

受け取る側が委縮するようになってますね。

 

妙な傾向は、やっぱり他人とのかかわり合いをリスクととらえて、

 

変な自立を始めてしまったからではないでしょうか。

 

 

この傾向はみんながそうするから、じゃあ自分も仕方なく・・・っていう気持ちや

 

なんか遠慮をこじらせてしまって訳わからなくなってる感があり、

 

社会全体の大きな割合を占めているのではないだろうか。

 

ほんとはみんなやさしさをもってるし、やさしくしたいんだけど。

 

警戒行為がすべてのブレーキになってしまう。

 

 

余計なことかな?とか、失礼じゃないかな?とか、いろいろな

 

他人に対してのチェックポイントの項目が増えすぎてる。

 

これがスマートで他人に気遣いができる人なんだと勘違いして。

 

気ぃ遣いすぎになって腹割れない人がどれだけいるだろう。

 

 

たしかにズケズケと他人のパーソナルスペースに

 

ノックもせず、土足で入ってくる人もいる(笑)

 

Mr.ベーターでさえ、コンコンコン、ちょっとええかな?と入ってくるのに(笑)

 

 

むかしは嫌だなぁと思うことがあっても、言えない部分が確かにあった。

 

そんな人、嫌だなぁってのはその瞬間の自分自身の判断。

 

これはどの時代も同じで、変わらない。

 

でも変わったのはガードの強さではないか。

 

 

むかしはガードがあっても自分の腕で、ボクシングのガードみたいで、

 

自分がガードをとけば、相手は入ってこれる、許せるようになってた。

 

いまはガードといっても、強化プラスチック並みのシールドを降ろされる。

 

それも入ってきたという事実のみで、シャットダウン。

 

相手はノックダウンされたわけでないけど入れない。

 

ここもパスワード要るんですか(笑)

 

 

最初は嫌だったけどって、相手にも言えないくらいの付き合い下手が多くなった。

 

最近は常に衝突を避け、ケガしないように事故にあわないように育てられた人が多い。

 

親世代が幼少や若いころの挫折や嫌な思いを経験があったからこそ、

 

そして周囲の支えや励まし、痛みがあって強くなれた、という事実。

 

これを恥ずかしさからか、みずから封印してしまう。

 

同じ道を辿らせてあげることも大事なことではないか?

 

 

伝えなきゃならない、避けてはならない困難をスキップしてしまう。

 

気が付いたときはもう遅かったりする。

 

ひきこもりとか、そのうまくいかなかった親子関係の根幹にある問題かも。

 

スキップしてショートカットして、人生うまくいくようにはできていない。

 

いくら便利になろうが、進歩しようが省略できないものがあるんです。

 

 

Mr.ベーターみたく一回乗ってボケてみて、和んで分かち合う思いもある(笑)

 

失敗を笑い合える環境が一番よくないすか?(笑)

 

しね~いわれても笑えたじゃないですか。

 

それはいろんな有形無形のフォローがあったから。

 

たぶん、私たちはまだ間に合う、取り戻せるはずですよ。