「かけがえのない」というと、途端に正論ぶりが増していく。
どんなにヘタレなやつでも2割増し、いや・・・3割増しになるだろう(笑)
「かけがえのない」と修飾してしまうと、非常につらい。
妙な義務感、使命感、正義感がマシマシ状態になってくる。
それ言っちゃおしまいだよ・・・
先人たちは「正論のもう少し先」に気づいていたのだろうか。
かけがえのない地球、なんてこられるともう逆にどうでもいいや(笑)
ってなっちゃうのかもしれませんね。
地球のこと、自然破壊のことを考えさせるようになったのも、
20世紀に入ってからでしょうね、それも後半あたり。
それまでは人間ってもしかしたら自分や家族、その周辺のことだけで
精一杯だったのかもしれない。いや、むしろそのほうがシアワセだったかも?
極端な話、自分のことだけ考えてもよかった時代がつい最近まであった。
大きな戦争が終わり、日々進化し続けてあらゆる世界をカバーする技術。
みんなが願いをかなえようと同じ高さまでいこうとして、現実そうなってくる。
小さな戦争は絶えず続いていて、正論同士がぶつかる。
大きな戦争は私たちに見えない空中戦やカタチを変えて経済戦争とか。
先進国だけが恩恵に預かれた時代を経て、先進国はその歩みが緩やか。
後進国は同じラインに追いついてくる。追いつけないと言われたラインまで。
当然そうだが後進国には大きなのびしろがある。先進国は伸び悩む。
世界をリードしてる自負がある先進国は、ほっそい道中を
互いに意識して列を為しながら平和裏に進んできたところへ、
成り上がりがちょこんと顔を出してくる。どうも~お世話になっております・・・。
かつての狂信的なイメージが拭えない極東の島国もそうだった。
背の低い、メガネをかけて、そして腰の低い国であったから、
馬鹿にされながら、それでも笑顔で頭下げて、カネ出して。
でも手は出さない。だから「先輩諸国」に受け入れられたのかもしれない。
アジアの大きすぎる国土と人口を擁する国は、どうだろう。
たぶん真逆の姿勢で仕掛けてきますよね。大国ぶりを遺憾なく発揮する。
面白くないでしょう、「先輩」諸国は。相手がどんなに歴史のある、かつての先輩でも。
かつて同じアジアの小国とは違って、したたかでぞんざいな態度、
かつての小国の記憶も鮮やかな、バブルのような意気軒昂さ。
なにか20年前の日本の拡大版のような流れ。既視感にとらわれる。
はじけなきゃいいけどね。混乱は世界を巻き込む。
私たちのときの、小国のそれの比ではないでしょうね。
〇〇したい、という欲求は果てしない。
自分のことだけ考える。
それだけじゃもうバランスとれないんだろうな。
自然を1で利用して、育てて浄化して、こころ砕いてもすぐに2に増えてくれない。
自然は良くて1のまま、常にマイナスへの転落と背中合わせ。
でもすぐ欲しい。多く欲しい。絶対欲しい。先に欲しい・・・。コワっ(笑)
一部の国や人が1で利用しつつ、バランスをとる必要があると気づいた。
大事に扱い、丁寧に根絶やしにせずやってきた。
それがもう、タイムセールのごとく群がり、ほじくり、ねこそぎだ。
先輩諸国は正論をいうが、この正論は正しくても相手は止まらない。
「自分たちだけいい思いしやがって、こっちにも寄こせ。」
かつての自分たちを見るがごとく、ギラギラして向かってくる。
豊かになるために、儲けるために必死になる。
未来のことや、自然のこと、地球のことなんか知ったこっちゃない。
これに答えを出せるのだろうか。
やっぱりリセットに向かうのかな。
んでもって、また繰り返すのかな。