ちょっとずつ、幅を利かせてくるようになった。
気が付けばすんごい厄介な存在。
その育て方を間違うと大変なことになる。
距離感の取り方を調整しないと食われてしまう。
なんでもそろいすぎるとあれだけ崇めていた正論がやっかいものになる。
なきゃないで欲しい。あったらあったで邪魔。だからバランスとる国民なのかも。
なぁなぁな感じが許せないとか、正しくやろう、平等にとか。
わかるんだけど、わたしたちが先祖代々取ってる距離感ってのは、
「まぁまぁ」なんです。
人をなだめる意味での「まぁまぁ(そこまでしなくても、言わなくても)。」
程よくって意味での「まぁまぁ(自分を納得させ、よしとする)。」
あとは伝わりづらいかもしれないが、たとえば「すごいですよね~!」とか
言われたときの「まぁまぁ(謙遜、何言ってもトゲがあるとき)。」
他にもまだあるだろうなぁ・・・まぁまぁ、まぁまぁ(笑)
日本人はいろんな意味でハッキリした姿勢を見せないできた。
そのなかで人間同士だけでなく自然とも「まぁまぁ」してきたんですよ。
日本の歴史は自然災害との歴史でもあるでしょう?その関係もあるかな。
立ち位置を一定にしておかない。留まると流れが悪くなる。
やりすぎるとヤバイと知ってるから、ほどほどでバランスをとる。
行きすぎない、生きすぎない、しかし粋すぎるのは良しとしてきた。
意気を遺棄して、息を殺して生きて、活きをも遺棄してしまう。
こういうのもダジャレじゃないんですよね。
ラッパーゾンビでもないよ(笑)
本人たちはダジャレ感覚よりは、変換する過程で、こんな風にもみえるよなぁってね。
音が同じだけど、意味がちょっと違うってのは面白いし、耳に残るリズムになる。
しかも意外にメッセージ込められてるなぁって。楽しんでる、トリンドル・・・遠い。
たぶん俳句とか川柳とかそんな方面からの脈々とした流れがあるのかも。
話はそれたが、正論だけがまかりとおると、少し窮屈になる。
いろんな意味で逃げ場がなくなるから。
内面までアメリカナイズされたら・・・少しずつズレが生じていく。
昔の人は片方だけに流れるそのテンマツにも気づいてた。
あんまり正論通すのもよくないなと。
現代の「完璧を追求していく社会」だと、どうしても完璧以外を許せなくなる。
それはたぶん、完璧を追求し続けて、崩壊した経験がまだないからである。
このまま追求し続けると爆発します。で、一時は反省するんです。
でもまた新たに始まる。同じように欲を刺激されていく。
歴史はこうやって繰り返していくんでしょう。
だからちょっと引いて、自分をその渦中から離れたところに置く。
迎合しすぎると渦の中にいることさえ、わからなくなる。
なんか飲み込まれてしまいそうでいやだなぁと思ったら距離をとる。
無色透明でありながら、どんな色にも染まり徐々にむしばんでいく。
正論って、尋常じゃないほどの総合力の高さをもっているんです(笑)
少し落ち着いて、少しゆっくり。
ワンテンポ置いて、ひとつ深呼吸。
大事なことですよね。
気づけるかどうか・・・皆さん自信ありますか?