飽和状態な時代には、誰かを真似するルートも飽和状態なものです。

 

そのルートさえ、これから先、安心確実なものではない。

 

必ず変わりゆく。飽和な令和はこんな時代。

 

列に並べず脱落した人は自分で考える方法もあるのだが、

 

日本人はどうも、右や前にならうのが好きというか・・・

 

 

飽和状態の世の中になると、日々においても、そうそう嬉しいこともなくなる。

 

一番感動するのは「自分で発見すること」だと思うが、いかがだろうか。

 

相手の意図で感動させられるのではなく、自分で発見して感動すること。

 

スマホやPCに頼らずに他人が言ったからでなく、主体的に

 

自分の感覚で何かを発見する・・・意味のある、深みのある発見。

 

これからますます難しくなってくるからこそ、やる価値があると思う。

 

 

まだ試してないことにヒントはある。その視点を持てるか否か。

 

昔の人も思いついたけど、実行できなかったこともたくさんある。

 

だからこそ、あらゆる世代に対して、潜在的な関心と共感を得る可能性が高い。

 

 

ワタクシはこんな面白いコトを今こそ、つかまえてみようと考えた。

 

団塊ジュニア、就職氷河期、ロスジェネの世代だから。

 

ゆーこと聞いて、従ってられないんですよ(笑)、そんな時間もうない。

 

同じルートで追いついたころにはもう、老いてしまっているから(笑)

 

シンプルに「やってないこと、やってこなかったことをやる。」それだけ。

 

 

ハタからみると異質な感じだろうけど、ちゃんと計画的にポジションを狙っている。

 

同じ服、同じ道具、同じことをしてることは安心ではなく、慢心である。

 

同じにしかなれない自分でこの人生を終えてしまう、手遅れになっていいのか。

 

 

いろいろと自問自答した結果、チャンスをつかむために、切り拓いていくために

 

「やってないこと、やってこなかったことをやる。」に至ったわけです。

 

でも他人の偏った見方を解くには、腹黒さのない功名心も必要だろう。

 

何かしら目立って結果を出さなきゃ、上がっていけないし、ダメなんだろうと思う。

 

 

なんでもそう。待っててもなにも来ないし、始まらない。

 

自分で仕掛けていくからこそ、他人は気づく。

 

この野心は嫌われやすいが、全員が嫌ってるわけではない。

 

そう自分で思い込んでいるだけなことのほうが多い。

 

 

この人が言うなら、って証し(結果)がそれをひっくり返すこともある。

 

大逆転もありうる。ゴール板手前で着順入れ替わるみたいな。

 

社会は競争しながら、みんな前に行きすぎてペースがどんどん速くなる。

 

止まって考える時間すらなく、こなす毎日。

 

なんか考えるという、並みのお暇さえもらえない。

 

 

ゴールがあるのかもわからないまま、どんどんペース上げていく。

 

脚が残ってないのに。フラフラのまま、ただただ走れという。

 

テイのいいバグ(馬具)を付けさせられて、前しかみえない。

 

そういえば令和、なんだよね・・・ってもう忘れてる人も多いだろう。

 

 

でも自分のやり方次第で大逆転できる。

 

だから面白いんじゃないですか?

 

ヘタでも無理でも、自分自身にバイアスをかけずに自信満々になろう。

 

できないと思って、やってみたらできてたことなんてザラにある。

 

人間そんな大差ないようにできてるんだから。

 

 

違いは、やるかやらないか。それだけ。

 

頑張り方はそれぞれ。答えはない。

 

あきらめるにはまだ早い。全部試したか?

 

たぶん、試してないはず。

 

やれるだけやってみたら?

 

たぶん面白い。すぎるほどに。

 

 

新しいコトもできなくはない。やる気と人柄と、動かし方次第です。

 

既存の型の上でしか考えられないから、視野が狭くなる。

 

全部取っ払って更地にして、いま何が求められてるのか考えればいい。

 

 

奇妙な自信と笑顔と、多少のふまじめさ。

 

マジメに考えすぎなければ、アイデアは生まれてくると思います。

 

目線は大衆心理まで落とす。すると矛盾に必ずぶつかります。

 

 

そこで矛盾に対して、スネたりしないこと(笑)

 

うっせーバーカ(笑)って盾ついて、自分を止めないで考えて先に進む。

 

リスクを裸足で歩く。鼻歌まじりでガビョウ刺さっても歩く。

 

すると日常に嫌気がさして、あなたの笑顔に、その可笑しさに、

 

足をとめてくれる人、いるかもしれませんよ。