「ありがとうございます」より「ありがとう」がいい。
エッセイ風の文章を書くようになってから、日々いろいろと降りてくるネタに対して、
ついついおもしろいと思って、ニヤけてしまうときがある。
まぁ気持ち悪いですが、ワタクシは気持ちいいんですよ(笑)
冒頭の文章が思い浮かんで、一気にそのあとの文章がパパパって浮かんで、
そして、消えていった(笑)、けっこうイイのだったなぁ・・・
でもね、ワタクシはこころのどこかの片隅で、膝抱えてると思いますよ。
そのうちまた、ふらふらッとあらわれてくれると感じてます(よろしくね、笑)。
表現の出た瞬間をつかまえたいなと思うんですが、どうも頭のなかで躍動してたコトバと、
頭のイメージから降ろして書いてみて、可視化したときの「そんなんじゃねぇよ感」がね。
毎回ガッカリするんですけど、たまにイメージどおりいくとたまらんうれしさです・・・
これをだからといって、スマホにメモしてとか音声でとか、叶えちゃうのも違うんです(笑)
気持ちのノリが同じ言葉でも違うんですよ。テンションもまるで同じではないから。
ちょっとそこで便利な理にかなった選択や行動をしないのが、粋(イキ)なもんでございます。
なんでもできちゃうと面白味がなくなったりしちゃいますもんね。ある意味、成長が止まるし。
あまり出来ちゃわないルールのなかで生きて、出来ちゃうツールを極力使わないでイキる。
おおっ、結構おもしろい表現(笑)、ちょっと最後クドイ・・・
ほんとにおもしろいもんで、うーんってうなりながらミケンにシワよせても出て来やしない。
なーんも考えていないようなとき、不意打ちで急に降りてきやがるんです。
個人的にはこういう不意打ちとうまい具合に付き合えるのがホントのプロだろうと思います。
逆に、ひとつの花びらも落とさないぞ!全部拾いきるぞ!って意気込んですべてを得ようと、
欲丸出しになっちゃうと余裕がなくなり、集めた感が強くてナチュラル感が弱い・・・
こういう人はスキルはもってるんだけど、プロ向きではないバッティングピッチャー。
ちょっとしたことなんだろうけど、言葉で説明しがたい感覚が決定的な違いを生む。
最低限のスキルは必要なんだろうけど、肝心なのは視点やアイデア、角度でしょう?
オリジナルな部分がみえて、おもしろいと感じる何かが文章にも、人にもあるかどうか。
その角度のつけ方や視点のイメージの描き方とか、教科書じゃおしえてくれないこと。
自分で感覚でつかみとるしかないものを、匠の技的なレベルで自分に降ろせる人。
これはね、あこがれとか目標とかじゃなくてね。
狙うは大衆のちょっと上付近をざわざわと。すごい高いレベルの空中戦は無意味。
知ってる。もう知ってるよ。理解してるから。そこまで行くし、行かなきゃなと。
行かなきゃおもしろくもなんともない人生だからこそ、そこへ行くんです。
まともなルートに戻ったところでいまの時代にシアワセはもうないし、求めてもいない。
これは自分に酔ってるわけでも逃げてるでもなく、現実的であり、魅力的な選択です。
最後の最期まで生きてる実感や、ワクワク感を楽しむほうがちゃんと死ねます(笑)
最後の最期まで尊厳があるかどうかわからないほどに、
いろんな管まきつけられて寝かせられて死なせられないよりは・・・。
いろんなところにくだまいて、足あとや爪あとを残しながらくたばりたいですね。
いつか誰かの役に立つように。