優等生が全方向で仕切りだしたら、社会全体がギクシャクし出した・・・

 

そんな感じがするんですよね。これって学生時代でもあるでしょ?(笑)

 

たぶんあまり整っていなかったころの社会は、地域の悪ガキ上がりの連中が、

 

何かと社会のコミュニケーションの中心になってやっていたのではないか。

 

 

 

むかしヤンチャしてたような連中がうまく連携しながら←これが大事!

 

やっていた世界観ってあると思うんですよ。

 

変に気取らず、飾らず、マジメ過ぎず。ちょっとダメで、それでも風通しよくて。

 

むかし悪かった連中というのは、少しだけ素直にやさしさをくれるんです。

 

過去に悪いコトしたなぁという反省の気持ちがある分、親に社会に地域に貢献しよう。

 

自分が出来ることを自分なりにやろうって思い始めたからではないかなと。

 

 

 

この気持ちやその連中のひととなり。それは義理人情的な感覚がベースにある。

 

人間のホンネが感じられるから、変に疑わずに腹割れる関係ができやすい。

 

いろいろ失礼なことや迷惑なこともたくさんありますよ?そりゃね。

 

でも不完全でいい。不完全だから魅力があるんです。

 

トータルであったかい人間性があって、先輩後輩のタテのラインが何かの歯止めになってて、

 

怖いおじちゃん、おばちゃんなりの役割みたいなポジションが効くんです。

 

わかるひとにはわかるが、サッカー選手でジュビロにいたドゥンガみたいなね(笑)

 

少しみんながいいづらいことを言う人がいて、バランスがとれていた。

 

腕っぷしの強い輩が必要な局面ってやっぱりあって、ニラミきかせる局面も必要でね。

 

 

 

この「いいづらいこと」ってのは人間関係においては食わず嫌いなところがあってね・・・。

 

スマートにふるまおう、いいひとにみられようと「してしまう」流れがマジメ人間の主張。

 

そんなのいいから、ちょっとおもしろく、たのしく、笑いながらおたがいさまだよなぁ(笑)

 

ってのがヤンチャなグループの主張。

 

人間、本来は両者のバランスを程よく存在させているのがシブイ社会だと思うんです。

 

 

 

マジメ人間も、実はヤンチャなグループのような人間性を秘めているんですよ。

 

でも社会的な地位を得たりすると、スマートさ、いいひとぶりを「演じて」しまう。

 

すると今度はその演じた姿を立場上、取り外しできなくなって苦しくなるんでしょうね。

 

その隠れたストレスが無意識に立場の弱い人や正義に劣る人へ向けられる。

 

 

 

ヤンチャ組は昔、ふつうに悪いコトしてたからオトナになるとそんなに攻撃的にならない。

 

昔本人たちもそういう時期があったから、気持ちがわかる部分がなんかあるんですよ。

 

なぁなぁな感じとはまったく違う。でもマジメ組はダメなものはダメと切り捨てる。

 

さんざんやってそれでもダメならわかるが、一度きりでもダメなら切り捨てにかかる。

 

こういうちょっとした感覚や判断の誤りの積み重ねだと思うんです。

 

 

 

そしてヤンチャ組も年々、正義に周囲を固められていくと身動きが取れなくなる。

 

洗脳されしまうようなところもあるし、真綿で首を絞めるように徐々に活力を失っていく。

 

そうやって出来上がったのがマジメ組の天下の社会です。

 

人間らしいあたたかみありますか?すんごく孤立感が増して格差が増してどうです?

 

 

 

マジメ組にすべて任せるとこうなっちゃうんです。

 

本人たちは良かれと思ってやってますから。悪気はまったくない。

 

清濁併せ吞むじゃないけど、人間として善も悪もひととおり経験したわけではない。

 

善の視点しか持てないまま、主導権を握るポジションを作り上げてしまった。

 

すると善の視点で演じた自分を維持すべく、悪を善のために必要なことと書き換えする。

 

エリートが不正する心理はこんなところにもあるんではないかな。

 

 

 

社会のゆがみを少し直すのに必要なキーパーソンは高齢者とヤンチャ組。

 

この人たちが「協力して主体的に動く流れをつくる」必要があるんですよ。

 

ワタクシはこの流れがつくれたらもう、思い残すことはないですね(笑)