ホスト国なわけですよ、日本って。
そしてスポーツと文化を「おもてなし」で売り込んだわけでしょ?
だとすれば東京を中心として日本という国のいまを発信するお披露目会。
魅せ方をプロデュースするには観客の質のコントロールも必要でしょう?
観戦者も参加者であり、種目に対してやスポーツそのものに対しての
観戦マナーや盛り上げ、雰囲気づくりを担う大事な要素になるんです。
日本人ってのはスポーツに対して、あまり造詣が深いとは言えない国民。
でもね…なるべくなら、なるべくなら。おつりがでてくるほうがいいわけです。
映像でも現地でも観戦した人が「雰囲気も」楽しめたと感じてくれること。
これこそ、真のおもてなしであると思うんですよ。
大概は富裕層が来てくれるんでしょうけど、映像を通して何十億人が観てる。
サッカーの代表戦の渋谷のアレでは困るし、日本人もアレじゃ恥ずかしいんですよ(笑)
かといって大人しすぎる学級委員タイプのクソ真面目な人、お金と時間のある高齢者…
そんなん観客に配してもちょっと「逆・役不足」なんです。つまり力不足。
役不足ってのは「当人にしたらレベルの低い役割」の意味であって
「人→役」の図式は、役が軸。役に人を当てはめると足りないのは、人の力不足。
「役→人」では、人が軸。人に役を当てはめるとちょっと失礼じゃない?ってのが役不足。
ちょっとわかりづらくて申し訳ない(笑)、飛ばしていいです(笑)
そんでもって、観戦者として事前に勉強して覚えて応援ってのもちょっと違うんです。
それってのは競技への興味のナチュラルさがないから、薄っぺらくてすぐバレる。
誰にでも平等にってのもわかりますが、理由のあるサベツがあっていいと思う。
いわゆる合理的理由があれば、ってやつですね。
ホスト国としては、競技の空間づくりには競技種目に精通している人財を配置。
これは観客を含めてそうだろうと思うんですよ、鉄則だろうくらい思います。
じゃあ一般人のシロートはテレビで観てりゃいいだけかったらそうでもない。
シロートはシロートなりに、自分たちの地域にも外国人が訪れたのならば、
親切にやさしく、笑顔をたずさえて、おもてなしする。ココロからね(笑)
それでいいと思いますよ。
スポーツの雰囲気づくりっていうのは民度みたいなものが如実にあらわれる。
日本人は一方的に雰囲気づくりを「演じて」しまうところがあって、自然な反応となんか違う。
正直、日本人がつくり出す雰囲気ってのはスポーツの根付く国とは少し違ってる。
特に欧米諸国は、自分が観戦を楽しんでますよ感の上に、頑張れよ感が乗っかる。
ベースにスポーツ楽しむ心があって、自然と湧き上がる感情が乗っかる。
だからあの雰囲気がつくり出せるんですね。
日本人はというと、どこかで観戦マナーや応援の仕方みたいなものが先にくる。
サッカーの代表戦もJリーグの試合も、まず先に応援の土台を意識してしまってる。
妙に、ソトヅラ意識が高くて、ソトヅラを演じてるフシがあるんです(笑)
だからか、スポーツを楽しむという土台や原点が欠けている雰囲気に
外国人からしたら、独特の違和感を感じるんだろうと思うんですね。
負けてようが、ミスしようが歌う、音や声を出す。一定のリズムで機械のように。
おのれの感情はどこにあるんだ?って思うでしょ(笑)
応援してますよ、私たち。ってのが雰囲気に強く出てくるとまだまだだなって。
そういう視点が持てない文化なんだなと感じるんです。
たぶん、この感じは東京オリンピックでも如実にあらわれるでしょうね。
日本人が日本で生活して、日本人がつくり出した雰囲気のなかで生きるかぎり、
未来永劫変わらない部分だろうと思います。
だからこそ、せめて、せめて会場の雰囲気づくりだけはその種目を理解して
その種目に携わってきた人を優先してほしい。その人たちの競技センスがほしい。
平等症候群にかかってしまうと、なにもかも公平にしてしまいがちですが、
ちょっと待てと、勇気ある歯止めになる行為も大事だなと思うんです。
こういうのができるようになると、目に見えない評価が上がっていくと思いますよ。