「どうしようか。老後。」
夫婦であったり、パートナーであったり、顔をお互い見合わせながらキョトンでしょ。
たぶん大抵の人は未知数で不確かな問題に対してこんな、漠然とした思いだろうなと。
それを言われたからといって、不足分2000マンかかるまで生きられるだろうか。
まじめな話、そんなに生きられないと思う。そんなに支えられない。
そもそも使う必要のない出費もあり、使わせられてる現実を直視すればよい。
そしてなきゃないなりに生きられる。命以外は捨てられるっていうことでもある。
何もかもそろえて準備して設備を整え、万全を期した生活を継続して送る。
節制を徹底し、年齢を重ねて生き続けることを命題として、生きるとしたら・・・
「お前はもう、ある意味死んでいる」と言われても反論できないほど
自分の意思で生きているような気がしないだろうと思う。
何のために生きているのだろう。忍び寄る死への恐怖は「いつもそばにいるよ」
からだが思うように動かなくなり、日ごとに気持ちが沈む人も多いだろう。
生活してるだけでしんどくなって、楽しみもなくなってくるとしたら
ただただ、倫理的なタテマエとして「いつまでも長生きしてください」ってのは詭弁でしょ。
生きれば生きただけ、自力での生命維持力が衰え続ける人たちを支えるには
負担が経費が大きくなってしまう。いつ終わりを迎えるのかさえ定かではない。
何よりも、衰えてしまうことによって、努力するより諦める気持ちが上回った人は、
身も心もすべて、全力でからだを他者に預けてくる。自力でなんとかする気持ちを捨てる。
いつまでも生きることがシアワセでなく、シワヨセになる時代になったのだ。
人類の「進歩らしき」向上によってもたらされたのは正解のない矛盾した答え。
どう生きる?
どう支える?
どう払う?
どう稼ぐ?
どう育てる?
どう死ぬんだろう人間は。
どうやら「しょうがない」で済まなくなってこちらに向かってくる。
老後元気な二人のコンビ、2000万パワーズ。今回の想定は夫婦だけれども(笑)
力と技でも、どうしようもない現実と私たちも向き合わなければならないんだろう。
8050問題も間近。昨今のひきこもり関連の人や家族の事件が示唆する未来。
たぶん、どこかで何かをあきらめないと年寄りの存在自体によって
人類が滅びやしないかと。もう見て見ぬフリで早や数十年、奇跡は起きない。
答えはないんですから。死ねない社会、死なせない社会。
倫理的に正しいとしても、あらがえない矛盾を将来、子や孫に背負わせて生きる。
あれだけ希望に満ちた笑顔の子や孫が、苦痛にゆがむ未来が待つとしたら。
憲法や法律が、許してくれないんです。問答無用?悶絶無常?
まずやるべきことはひとつ。みんな自分で逃げずに考える、ってことです。
さらに、あらゆる角度から考えて「実際に」挑戦して、力のかぎりゴーゴゴー。
私たちが頑張ってもがいたことが未来に活きれば、それはそれでいい。
年寄りができることは、未来のために捨て石になる覚悟で挑戦し続けることです。
お金も知恵もあるんですよ。経験値だけでなく、経験知がある。
一番世の中を動かせるポテンシャルがあるのが高齢者である。
そして一番のキーマンになるという自覚を忘れないでほしい。
なんにも手札のないワタクシにとったら彼らは宝の持ち腐れでしかない。
お金と知恵と人。うまくかみ合えばまだやれる可能性は十分ある。
世の中、いまあるパターンがすべてじゃない。やりつくしてこのザマではない。
お金を回せ、知恵を回せ、人を回せ。
何も学ぶ必要はない、いまある自分の活かされていない知恵を活かせばいい。
闘え、猛々しく。2000万パワーズたる所以はここにもある。