昨今の年金や高齢者の事故などの問題って

はっきり言うと想定より生きすぎてしまった弊害が

さまざまな分野で現実化してきたということにかぎるでしょ



シンプルに考えれば昔ならば死んでしまう年齢でまだ・・・ということ

生きすぎているならばどうすべきかを根本から見直すべきでしょう

法律とか倫理とかが見えないシバリになりすぎて考えられなくなってる



こうなることもわかっていたでしょうね、むかしの人たちも今の人たちも

それでも決めて進まなければならなかったということ

ならば、私たちもいま逃げずに向き合うという点ではマストでしょう



ここで大事なのは、複雑なワチャワチャしたことを考えないことだ

もう生きてるだけで矛盾が進むんだから善悪含めて排除せずに

一度考えてみる必要がある

逃げようとすれば、いろんな理屈つけて逃げられる

この堂々巡りから逃げるのは未来のためにならない



私たちは生きているが、同時に未来を託され、未来へつなぐために存在する

自分のために、を社会に扇動されて忘れてはいないだろうか

つなぐ存在であることに対しては、私たちは生きているかぎり

どんなにカッコつけようが、スマートにこなそうが、拭い去れない運命にある



どうにもならないのか、正義を貫き正しさを押し通して滅ぶのは美学か

あらゆる面で私たちの存在は刹那的で、自己愛が強すぎて

かけがえのないものとすることに、比重を置きすぎたのではないだろうか



私たちの子や孫の世代にしてやれることは便利や安全や安心ばかりではない

これらを追求しすぎると必ず自然や社会がバランスを壊すと感じているはずだ

ただ椅子に座り、ただ快適をむさぼり、いつしかただ横になり

ただ投与され、ただ散りゆくのは是か非か



私たちは走り出したら止まったらいけないと思っていやしないだろうか

逆に走り出さなきゃ始まらないともいうが

無意識のうちに私たちは走り続けなければ、得体の知れないものに

のみこまれてしまうのではと感じているのではないか

走るのをやめる、この選択肢も気づきを与えてくれると感じています



何か私たちも競走馬と同じように禁止薬物を混ぜられているのかと

不安になりますが、走らせようとするのは両方とも人間って意味では

いろいろと考えさせられるものがありますね