いつまでも生きる前提で、人生プランを立てるから
詰まる部分が出てくるし、不安に感じるんですよね
人生100年なんて思うマインドセットを外してみたらいいのでは?
大衆心理として、なんでこんなにも人は影響を受けてしまうのか(笑)
日本人の「ちゃんとやってくれなきゃ困る」という論理が根付いてるのは
諸外国と比較して、社会への参加意識が薄い国民性にさせられた影響でしょう
当事者感を極力持たないほうへシフトさせられてきたからであり
ちゃんとしなきゃの責任が、各自に必要以上の完成度を要求し続けるんです
「そうしなきゃいけないんじゃないか」がのしかかるシステム
意思を捨てたかのような、機械のような動き…このイメージは日本人そのもの
スポーツでも仕事でも、パターンを好み決め事を守りながら進める
このことへの信頼感や依存度が高いというパーソナリティを持つ
その割にアドリブ的な要素に弱く、崩れると脆さを露呈してしまう
ダメだなそんなんじゃ、ってもう知ってるんです、十分に理解してる
でも「オートマチックで無駄なくあまり考えずに」が居心地がいいと感じる
そういう状況に自分を置く人が多いと思いますね
高度成長時代のこの人の動かし方の原動力というか、パターン化が成功の正体
ある種、怠惰で甘美な?ものがどの世代にも深く、深く根付いてしまっている
これは悪い意味で世代を超えて踏襲され、大きな流れができてしまっているんです
社会って、大人ってそういうもんだろって感覚がコレなんですよ
考えないように自分を持っていって、それを肯定する(させてしまう)
周りもそうしてるから、肯定していいんだという思考パターンをとる
形作ってきた社会が、型づくりによるはめ込み方式だったから
その型に当てはめるように教育して、自らの意思でも、はまりにいくように仕向けた
そりゃその時代の効率を考えたら無敵のシステムでしょうね…
時代がなんでも叶えてあげると圧倒的に自主性と想像力が落ちていく
そして、考える作業が苦手になってしまうんです
さらに違いを生むのがその延長上の知識やスキルと信じてきたから
頭良いって人も、知識でしかなく「ペライヒト」になるんですね
このシステムはもう通用しなくなっているけど、依存するしかできない
必要なのは知識でなく崩れたときの打開力、ひらめき、アイデアですよ
それもわかってるはずですよ(笑)
違う思考パターンや違う景色に対して、扱いがわからず無意識に距離をとる
例外なく自分の考えが正しいもの、社会に適合するものだとしているんですが
社会そのものの型にはめられているだけで、本当に考えた結果ともいえない
その常識は本当に自分で考えたうえで、正しいと判断してますか?
いま必要なのはみえないものを一度、ちゃんと信じてみること
自分で考えて、自分の言葉で、ヘタに情報を取り入れずに結論を出してみること
これだけで少し変わると思いますよ
不安になるのは思考せずに何かに依存する割合が多すぎるから
自分で考える時間をとらずに答えを探し求め、安心する暗示にかけられてる
自分を見直せば本当に必要なもの、すべきことを自分で決められるはずだし
それでうまくいかないとしても不思議と後悔しないはずです
なにより、不安よりワクワク感が上回るといい意味で振り切れます
振り切って、そぎ落として、それでも残ってるものがあなたの本当の気持ち
だからワタクシはこんなんですけど自分に期待してるし、ワクワクしてる
自分になんかできっこないなんて感覚は自分との闘いで振り切るもんですよ
昔は正解を知ることができなかったから信じて続けられた
今はムダに正解を知ってしまうから続けられなくなり、あきらめてしまう
だからこそ、考えなくちゃいけない、新しい道を開く足掻きをしなきゃいけない
次の世代に伝えていかなきゃならないのは、コレでしょ?