儲けたい、そんなんじゃないな、たぶん

それも必要なことだが社会のなかのどうしようもない

動かしがたい流れに一石を投じてトライしてみる

そういうポジションを設けたい

社労士として、ってのは二の次だなと思う



儲けたいのは生活のために、人生のために、家族のために

このポジションはほとんどの人の位置づけに当てはまるでしょう

大多数の人の願いに沿ってビジネスも成り立つ、社会も流れができる

そこに対して、これもしていいんだ、やってもいいんだという了解が生まれる



誰が決めたわけでもないが、大丈夫なんだねこれもって感覚で

世間という顔のない存在から了承を得たように良しとされていく

自由経済みたいなよくわからないイメージでいろいろと許してきた

別に否定はしないが、そればっかりでバランスを欠くのも事実

一つの方向へ意思が向かうと、みんな同じ方向へ向かう習性があり

ルートの進むべき道の障害を取り除き、舗装して高度化、高速化させていく

実際、そのルートを疑うことなく前にしか進もうとしない



これは単純にそのほうが進むのがラクだから

みんなが行くし、みんながいるし、みんなが助け合える・・・だろうと

でも実際はみんないるけど、みんなあまり信用していないから

疑いの目で互いに監視しあうように、いつもキョロキョロ周囲をうかがう

自己責任の名のもと、ちょっとでも恥ずかしいことやミスを恐れる

そういうゲームに組み込まれていってしまう



そのルートから脱落した人生で、少し離れた距離で見つめると

どうも前は前で、騒がしく渋滞していて、みんなカリカリしている

何か他のルートはないかなぁと少し逆走してみる、いい意味の逆走ね(笑)

この道は反対から戻るレーンはないので道の端っこをゆっくりと

邪魔にならないようにトボトボと、でも周囲にある景色を眺めながら戻る



よく人生は道に例えられたりするが、道をどう進むかは自分の判断だ

前にただただ進むのも良し、少し立ち止まり周囲を振り返りながら

ちょっと気分変えてキビスを返してゆっくり、立ち位置を戻してみるのも良し



人生の後半は折り返し地点があってそこから戻るんだという人もいる

アントニオ猪木さんの「道」のようなイメージも前だけだろうかな?

いろんな人がいて、いろんな人が行き交う道であって

私たちのものであって、私たちだけのものでもない



このまま際限なく前へ進むことだけが私たちのすべきことだろうか

道を拓いてきた過去の先人たちや未来の私たちの子孫が望むことだろうか

できっこないなんて思わずにやり続けた人たちがつくった道の延長上に

いま私たちはいる、ということを忘れてはならないのではないか



一日一日、その日が最先端であり、最前線になる

間違いは許されないと暗示をかけて前に進むこと自体が

間違いということもある

先人たちも間違ってきたかもしれない

でも間違っていたかは振り返らないとわからないこともある

人生の後半に振り返る人たちが次の世代のために

できることを考える場を設けるべきだと思う

死ぬまで前に必死こいて進めなんて誰も言っていないのだから