よく日本の原風景とかいうけど

あのイメージに対して日本人として感じるのは

童心とか素直とかと同時に緩やかさだろうなぁ

自然がそのまま、緩やかに人間が自然に歩み寄って敬っている感じ



いろんなものが揃わないから、なきゃないなりにガマンして、補い合う

人間同士だけでなく、自然とも一体感があったのではないか

自然をどこかで中心においていて、人間を中心にするなんておこがましくて

みたいな感覚はあっただろうと思う

もちろん解明されないことが多かった時代だから

わかってしまうとゾンザイな扱いを現代人と同様、するかもしれないな(笑)



人工的な空間が増えすぎると、都会に自然をつくってもウソの自然は弱くて

人口的な空間にのみこまれてしまうように感じてしまう

都会に緑をっていうけどその緑は、おもちゃなんですよ

文字通りの自然でなくて、不自然にしかみえない風合いの味気無さがエグい



逆に残念な田舎はいつも都会の流れやシステムをそのままもってこようとして

自然に都会をもってこようとして、ヘタこいてセンスなく不自然になる

まちづくりってこんなにヘタなんだな、って日本全国ほとんどの住民は思ってます



知恵とか共生とかの発想をあまり意識しないから、うまくなくなってるんでしょう

考えてそうで考えられない日常に普段いますからね

みんなの期待に応えるとか、みんなにわかりやすくいいコトしようとか

そっちに意識を飛ばしすぎてるから、クリエイティブなレベルが下がり

うまく引きだせなくなって、結果的にどこも似たような、どこかで見たような

日本の人工的な原風景になっちゃう



鉄やプラスチック、コンクリートの人工的な冷たさと

逆の恐ろしいほどの電力による熱さと自然破壊で温暖化…

これには寒気します(笑)、冷たいんだか熱いんだか、暑いんだか寒いんだか

地球は人間のものだけではないのでね、あらためて



ビジネスを度外視すればもっと、人工的な度合いは薄れてくるのも知ってるが

カネあるやつがセンスないのか、思慮深くないのか、面白みがないのか

どうしても「要らぬカンバン」にしょうがないと首を縦に振るしかない

それ要る?ってコンビニやお店だらけ、バカでしょやっぱり(笑)

みんなの意識を半歩先いって導くほうがいい、みんなに合わせるとたぶん落ちる



もうネット空間に全部のカンバンを移していい時代でしょ

そのぶん、景観を含めたリアルなまちの空間づくりを

「お年寄りにデザインさせてみる」のも一考ですよ

みんなが欲しいものと少し違う、昔の日本人がもっていた

淡くて、やわらかい、でもあたたかい自然のなかにいる人間のたたずまい

そのこころを未来に受け継いでほしいじゃないですか、やっぱり



それぞれの世代に原風景はあるでしょう?

「チキンライス」的な昭和の日本の原風景、いいんですよアレが

なんかわからないけどみんなガマンして、辛抱して

前を向いてシアワセに豊かになろうと「ぼんやり」願っていた時代

アレ聴くとシアワセな涙しか出ないんですよ(笑)



あの感覚、若い子はなかなか味わったことのないもんでしょうけど

なんでもそろわない時代のほうが人の温かさみたいなもの

あったんだろうなって感じてると思いますよ

私たちが次の世代に残していくべきなのは

チキンライス的な日本の原風景なのかもしれない



たぶん、発展させよう良くしようと続けることがしんどくなる

そんなとき落ち着ける、包んでくれるような人が周囲にいるような

そういう気持ちになれる人が自然と穏やかに過ごせる空間を取り戻せばいい

空間を取り戻せば、急いでた人たちもあの頃の気持ちを取り戻す



日本だけにしかできないような、空間づくりってあるはずです

空間が変われば、その社会全体の空気も人も変わる

核も武器も持たなくたっていい、なごむ空間と自然と共生しながら

世界に対して「撃てるもんなら撃ってみろ」でいいと思いますよ

もちろんケンカ腰でなく、ニコニコしながらシアワセそうにね