あらゆるモノが揃いつつある現代においては
未開発な部分をいま一度掘り起こし、信じてみる
やり抜いてみること、挑戦すること
実はこれが、一番面白がれることなんです
私たちの身の回りには衣食住すべてにおいて秀逸な完成品が揃う
人間がみつけ、気づき、叶えて、より良く改善して
発展させてきた先人たちの積み重ね、努力の結晶
間違えたこともたくさんあったけど、教訓にして立ち上がってきた
才能があると「された人」が実力を上げていき、評価されて
結果を出していろんな分野で貢献してきた歴史があるが
現代人は「出そろいすぎた社会」にいてアイデアに乏しい現実を生きている
誰かが示した完成品に身も心もぶら下がったまま、新しい依存を待つ
自ら動いて変わろうとする気持ちはさらさらない人が多すぎる
ワタクシが問いたいのは、本当に適材適所で自分がいると信じてるんですか?
いまいる場所はポテンシャルをフルに発揮してのものなのか?
日本人のどれだけの人が本当の持てるチカラを
最後の最期まで、老いも若きもフルに発揮してるの?ってことです
あきらめてたことにヒントがわんさかある「かもしれない」
すべて試してみたがどうしようもないとは、まだいえない気がする
たぶんそんな時間も余裕もない、これもわかるが、もう味のしない言い訳で
やり方や見方、考え方次第では「まだ奥がある」と信じ切れていない人が多い
テクノロジーが進化し向上しても、我々日本人ってのはどうも
自己評価を低く低く見積もり、出るクイになろうとはしない
ロボットのように動くが、意思表示は薄くボヤけたまま、あいまい
与えられたら動くが、みずからは動く意思は持たない
使われる下っ端感が強い、そのほうが安全だからだろうけど
本気で日本人がフルに自己主張して、チャレンジし続けたら
どんだけ質が上がるのだろう?って考えたりもするんです
才能ってのは、「誰かの真似じゃない自分」になるまで
昇華させる努力をし続けた人に与えられる能力だと思う
もちろん肉体的な限界があるものを除いて、ごく一般的な意味でね
実は才能ってのはその人が生まれながらに持っているものではなくて
好きになって夢中になって、全力で取り組んで本気中の本気でやり抜いた人に
「この人にそろそろ与えてやってもいいんじゃないかな、才能を」
ってその分野の神が(笑)授けてくれるんじゃないかと感じてるんです
各分野でそれなりの地位にまで行った人ってのは
「よくぞここまで努力して、引き出して、やり抜きましたね」
ってその分野の神が指をパチンとやって
才能を開花させてもらったんだろうと思うんですよ(笑)
どこかであきらめた人がほとんどだろうけど、何かであきらめた人のほとんどは
ひとつ、ないしはふたつ程度の分野にしかチャレンジしてないでしょ?
しかも若いうちでチャレンジをやめてしまってそこで終わってる人が多い
才能の有る無しの判断ってのは、自分や他人が勝手に判断して決めるもんじゃない
もともとすべての人間に何かしらの芽が隠されていて
夢中になって、本気になって引き出した人だけが手に入れるものではないか
過去の偉人とされた人たちも本気中の本気で、どこまでいってもあきらめず
負けても失敗しても這い上がり、指をパチンとされた人たちなんですよ
あなたは本気中の本気でやってみましたか?
ワタクシは指をパチンとされるまでやり続け、探し続けますよ
味のあるものを最後の最期まで噛み続けていたいですから