チマタの年齢にあらがう商品って無きゃ無いで生きられる
商売に利用されてる自分ってのはまぁまぁ許すんですよ、みんな
やっぱり人間って贅沢になると根本が変わりますからね
変わっていくけど昔を忘れないでほしいし
ありのままを受け入れるのもまた、悪くはないですよ
技術の進歩した新しいものや良質なものっていうのは
それまで人がしてきた経験知をある意味、全部ぶち壊す
無にしてしまう場合もあります
んで、経験が伝わらない、伝わりきらないジレンマを抱える
がんばって苦労してやり遂げたことで得られた達成感を
一瞬で片づけちゃう時代になるとなんだか
そんなんじゃないんだよなぁと思うのですよ
で、生まれたときからこれだから当たり前で苦労知らず
互いの立ち位置と過ごした時代の違いに立ち尽くすしかない
一生懸命、手作業で頑張って積み上げてきた自分という存在
その積み重ねの歴史である自分の価値を自覚している人は多い
周りや社会からは「それが時代っていうもんですよ」と勝手に片づけられる
でも本人にとってはそんな簡単に片付けられないもんです
何回も何度でも試してうまくいかなくて、失敗して
苦労に苦労を重ねて、ようやく願いが叶うと喜びが
あふれにあふれる、サッカーのゴール後のように
苦労した分の喜び度合いが格段に違う、当たり前っちゃ当たり前ですが
実はこのプロセスが忍耐力の源にもなっているんですよね
ガマンしてガマンして辛抱強く続けることって重要なんです
基本、なんでも叶うと努力も難しいし意欲もちょっと下がる
失敗の数が多い分だけ喜びは増し、少ない分だけ喜びは減る
環境的に自分修業できない負荷がかかりにくい時代になっているし
自分ではつくれない、もって生まれた環境が整わない人(貧乏)
もしくはすべての環境が整う人(金持ち)か
この両極端でなければいまの時代は逆に成功しないのかもしれない
まぁたぶん、この両者は相容れない何かがあるでしょうけど(笑)
毎日、あるいは定期的に願いが叶ってしまったらどうなる?
喜びも半減し、次第に当たり前に感じてしまい満足できなくなる
どんどん上を求めて欲を高めていく、キリがないけどもみんなそっちに行くし
少し取りつかれたように我を忘れて、欲を満たし利便性を追求していく
なんかいやです、急ぎすぎててキライですね(笑)
そして、失敗を生み出さない完成品ばかりを求める傾向も強い社会です
そんななかで失敗をせずに生きるのは逆につらいだろうな
失敗できない、恐怖に似た強迫観念とストレスにさいなまれる日常
だからギスギスしてくんです、みんな
人間誰しも失敗を重ねて学ぶし、言動にも味や深み、コクが出る
酷なことを刻々と、自分にコツコツと積み重ねた分だけ、コクは出る
魚も食べづらい骨が細かいところがウマイ…ちょっと違うか(笑)
でも最初に正解がすぐ手に入る社会が実現してしまうと成長は難しい
情報を大事にしているがある意味で、軽すぎるきらいがある
過程をスキップした人はどうも浅い、ウワッツラ―になってしまう
人間が何もかも満たして叶うようになっても
たぶんすべての人は成功しないのではないかと想像してしまう
すべての人が成功するかのように喧伝していく社会のなかで
すべての人が成功しない現実に直面させられる
叶うと前を向かせて、敵わないと後ろを向かせる
そのうち苦労を体験するアプリなんかも出るのかも(笑)
そうなったらなんかもう、終わりでしょ人間って
なんでも叶えちゃダメですよ、たぶん重要な分岐点にいまいるんですよ
みんなが見ない方向に歩く、歩き続ける、途中であきらめずに…
みんなあきらめる地点のもう一歩も二歩も先まで歩き続ける
そうして初めて、みんなこっち向くようになるのかもと思って
これからもワタクシは続けていきますよ、古き良き新しいコト