「誰もいないところに旗を立てること」
これ、立てた本人は目立つが周囲は距離を置きたがる
衝突というリスクを避けると変化は生まれないのは世の常だが
いい意味での衝突こそ、化学反応をみせアイデアやひらめきを生む
よくよく道理をみてるとそんな感覚がある
社会はリスクを避け、他人を尊重するという名目で
国民に自己責任の渦を、自家発電でつくり出すよう仕向けてきた
「隣は何する人ぞ」を誤用して関わりを断って要らぬ閉塞感を生み出した
他人に干渉するのが怖くなり、余計なことをせず踏み込まずに自分を守る
2000年代に入ってからこの感じは余計に強くなってきた
だからワタクシは、こりゃ自分でやるしかないなと思った
自分で旗を掲げて流れつくるしか方法はないかもしれないと
もう他人待ちはウンザリになった、若い人のように攻めに出る(笑)
他人不干渉社会の息苦しさを自分自身に設定して、ストレスたまるわ~と言う
少ない財布の中身を嘆きながら、少ないことだけを嘆き悲しみ
発想を変えようとしないで、だってしょうがないと言う
視点を変えれば、ビジネスという視点にとらわれずに動けば
ヒトもカネも集めることだって可能な世の中なのに、である
体よく逃げ切って次の世代の荷物になるのも私たちはよくわかってる
自分の身を自分で守る、とにかく守りに守る…それを謳う世の中
リスクを避けて、誰かが確立するまで乗らない人が多い
何かを生み出す広いフィールドは、あるにはあるのだと思う
しかし方法を知らないからと、前例がないからと動かない
そして前例があるフィールドに群がって同じ旗を掲げる
隣のヒジにぶつかって、すみませんすみませんって謝りながら
私たちは生まれてこのかた、新しい旗の掲げ方を教わっていない
しかしみんながやらないことを、やろうとする誰かは
どの時代にも必ずいたはずだが、今は、ただただ失敗したくないのだ
みんなハズレを引きたくないが、数十年後にみんなハズレになる(笑)
新しい時代は若い人たちが動かしていくのがいいのかもしれない
彼らは若さゆえに先入観なく、それこそリスクをいとわず攻めに出る
お年寄りたちは、ひと昔前の世代より長生きで健康寿命も長くなっている
成長時代に乗っかって財を成しあとは悠々自適、やりたいことだけやる
お金を市場に回さず自分たちを自分たちで守りながら
自分の死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないと
こういう世代を必死の思いで育てた、今は亡き大正や昭和を生き抜いた世代は
こんな息子、娘たちをみてどう思うのでしょうね
私たちはどんなに立場が変わろうとも次の世代のために
思いもお金も、経験も教訓も、伝えなければならないことはたくさんある
世代を必死につないできた先人たちの思いを無下にしてはならない
それぞれが旗を掲げて次の世代のためにできることを始めよう
ヒジのぶつかるフィールドで、いつまで満員電車に乗るつもりだろうか?
満員電車が見かけなくなってから気づくのでは遅いんですよ