私たちの社会は便利になり
様々な進歩によって、寿命が延びた。
自分個人の人生を最後の最期まで
有利にしようと頭をはたらかせる。
その思いがより強くあらわれてきた
ような気がしますね。
一人一人が自分のあらゆる財産を第一に
守り、有利に動かすことを優先して
目に見えない競争原理をはたらかせてきたのだろう。
人口のピラミッドが歪んできたのは
時代の流れで仕方ない部分がある。
だがこのまま、ある種の利己的な追求ばかりで
未来は成り立つだろうか。
人間が生まれ、生きる、そして死ぬ…
そのサイクルの最新の場にいる。
未来永劫、続くものだとは思うが
私たち現代人はこのサイクルを
少しゆがめてきてしまっているのではないだろうか。
生きること、稼ぐこと、そして
自分のために有利な手段を取り続けること。
おそらく正解はない。
だが、このままの流れではいけない
と感じながらも捨てられない、リスクをとれない。
年寄りが長生きすることもそうだ。
個人にとっても、家族にとっても大切な存在。
しかし「代謝が悪くなる」となんだか
ゆがみや弊害が生じてくるのは確かだ。
どうしたらいいかわからない問題
として直面させられている私たち。
人間そのものは、倫理的に
「淘汰されること」は許されないだろう。
結果、この先にますます増える高齢者を
持て余し加減の社会が待っている。
高齢者たちは自分たちを自分たちで守ろうと
財産や有利なモノを手放さない。
ワタクシはいつだったか書いたのだが、
煮え切ってクッタクタになった鍋の具材にたとえた。
誰も食さず、誰も鍋から取り出さない。
取り出せないのだ。なんなら溶け出してる・・・
当の昔にこの鍋は煮詰まり始めて、
水分を飛ばし、みずみずしさを失い
いまは煮詰まって鍋の底が焦げ付き始めた。
が、誰も見て見ぬフリを続ける。
焦げ臭い鍋の脇では、みずみずしい野菜や
鮮度の良い肉や魚が待っている。
私たちはこの鍋の煮詰まりをただ眺めながら
干乾び続けていくだけだろうか。
次世代の縮小を前に何も手を打たずに
自分のことだけ考えるのだろうか。