十数年前の自分が書いたブログ、タイトルすら忘れた(笑)

なんだったっけなぁ…サービス終了までにみつかるのか

気長に思い出したら検索してみようと思います

ログイン名すら違うし、忘れてしまったなぁ



もう見れなくなったのかな?

過去の自分の思いって恥ずかしい反面、懐かしいような

忘れちゃいけない感覚を取り戻すこともある



ふと思ったのが映像や写真など自分の外部に記憶を残している人

いまはほとんどそうだと思いますが、大事なことや強烈な印象って

やっぱり外部の媒体などに残していなくても自分のなかに残り続ける

電話番号とか意味なく覚えていた時代、やればできるんですよ人間(笑)



いまの人より、少しセピア色(古い、笑)な記憶は

自分のなかではどんな映像よりも「美化」して自分のなかに記憶している

っていいますよね

でも、美化をどうとるかによって変わってくるんですよ

「美化を礼賛や栄光のようなキレイなものとして着飾らせる」のか

「美化を過去の思いを忘れずに研磨して錆びつかないようにメンテする」のか



世間一般では前者のような受け取り方をしてしまう世の中ですが

ワタクシは後者のような「あのときの気持ちを忘れない」という

タイプの人も実は多いのではないかと考えていますね

迷ったとき、悪い方向へ行っていやしないかと戒める、確認する

あのときの自分の思い、正しいと思ったこと、すべきこと…

人生それぞれにあると思います



そういう意味での戻るべき記憶として、自分をメンテするために必要な記憶…

外部のデジタルじゃなく自分のなかにある人って素敵やん(紳助風で)って

私たちはなんでも自分の外に記憶させて、必要なときだけ取り出すけど

それって本当にいいことなのか?とただただ、便利なだけで

自分の大事な記憶の醸成を奪っていないか?と思うところもある



人は記憶のなかで美化する、先ほどでいうと世間一般のネガティブな面と

自分の記憶を拠りどころや糧にして、思いを反すうさせて学習を重ねてる

メンテする意味の美化、そういう面もあるのではないか

迷ったときに立ち止まる心の引っ掛かりになったり

別の視点からみる判断材料にしたりするような感覚



記憶の容量はわからないし、老化すれば衰え記憶が失われてしまう

しかし、ふとしたときに記憶がパパっとよみがえる瞬間

そんな感覚も誰しも感じたことがあるはずでしょう?

おそらく解明されていない脳のどこかに刻まれているんだろうと

ポジティブに思えることのひとつではないだろうか



ますますデジタルな時代になる令和時代…

でもねぇ、やっぱりアナログな人間らしさを

取り戻すことも必要なんじゃないかなと思うんですよ

デジタルについていくのをあきらめた人には

アナログのあたたかみの需要は確実にあると踏んでます



デジタルが集める数十万、数百万のフォロワーなんかより

よっぽど身近で、あたたかく、直接に人間らしい関係を

もう一度取り戻す必要があるんではないでしょうか