テレビやなんかで昔の映像をいまの2019年の視点で観て
恥ずかしいことしてたなぁって感じる瞬間あるでしょう
これもトータルで見て、どうかなと思うのだが(笑)
当時はまったく恥ずかしい気持ちがなく
最先端な気持ちで身に着けたりやってたりしたこと
いまの若い人には鼻で笑われるでしょ
これもよくある話で、この子らも10年後、20年後に
見事に笑われる対象になるんですよね(笑)
変な社会になって「昔を笑うのはハラスメントだ」って
こんなおかしな流れもあり得なくないのが
いまの日本の社会の現状ではないだろうか
笑われたほうの世代としては
恥ずかしい気持ちもある反面、ちょっと郷愁感が漂いますね
あの頃の気持ちに巻き戻すんですよ、自分で勝手に
巻き戻すってのももう…時代ですよ、それでもこの思いも
まわりまわっていろんな世代が感じる共感ポイントですね
思いの共感って一番人と人を心からつなげるもんだと思うんです
もっといろんな世代に社会に、共感から生じるチカラを広げたい
その一番の近道はNPO法人の立ち上げによる活動だと感じました
社労士のやってるNPO法人もチラッと検索してみましたが
あまりおもしろそうな動きはありませんね、業務付随の発想でね
もちろん詳細をみることはしません、やりたいのはそういうことじゃないので
どこでもいる社労士と同じことやっても、自分が一番おもしろくない
ワタクシが目指すのは、つまるところ
承認欲求の新たなカタチだと思うんです
見方を変えた「自己」承認欲求というのは
「自分がどこまで行けるか、どこまでやれるのか試してみたい」
世にいう、承認欲求ってのは「他人から」認められたい願望ですが
他人からではなく、むしろ他人からはどうでもよくて
自分の可能性を試して、自分自身が「自分を承認したい欲求」がある
おそらく誰しも一度は感じたことのある、自分の力量をはかる挑戦
それをやらずに心のなかにしまい込んだ者、捨てた者、つかめた者
いろいろといるでしょうが、ほとんどの人は妥協しながら
オトナ像のフレームへと自分をその枠に、はめ込んでいくんだと思います
夢ばかり追って、理想ばかり追いかけても仕方ない
とあきらめるのは、自分のライフコースをまだ一般レベルに
戻す時間と若さがある人へのオトナの温かい格言です
わかってますよ、ありがとうございます
でも40代からはもう戻せないことが多いでしょう
人によるでしょうけど、ワタクシ自身はもう厳しいと踏んでます
たぶん中途半端に終わる可能性が高いし、そのパターンだけが正解ではない
戻したところで心のなかに引っ掛かりをおぼえたまま
無難なくらしと無難な未来を描けたとして最後の最期
自分を納得させて死ぬことができるだろうか
他人の最期でなく、自分の自分自身の最期です
ワタクシはそこから逆算して考えた
一般的なしあわせな人生のカタチは時間的にも望めないけれど
自分の最期の瞬間を前にしたときに
「妥協なく、自分自身をやりきったのか」と
どうせなら、ギャンブルに出て勝負する姿勢もアリではないか?
結果はともかく、最期の自分のこころを救うのではないか?
この気持ちは人生の最期に向かう世代にとっても、自分のなかで
やり残したこととして、フォーカスされていく感覚だと思うし
実はどの世代にとっても需要はあると確信めいたものもあります
うまく伝えるために言語化してイメージの共有をはかれることがカギでしょう
なかなか思いは一度では伝わりきらないもんです
こころに引っ掛かりをおぼえて、その思いを各自が熟成させて
まろやかに、最初のとげとげしさがなくなり、芳醇さと豊潤さが増してくる
イメージを描き、重なる部分が増えてきてようやく、だと考えてます
少し時間をかけて本気で戦略をデザインしていきたいと思います
最期から逆算した最期に後悔しないための最後の挑戦ですね
競馬も馬券購入してまでは、やらないことになるでしょう(笑)
でも競馬自体好きなのでレース観たり、予想したりはやめないと思いますね
ネット競馬の俺プロで疑似体験で済ませることになるでしょう(笑)
まだまだ、楽しんでチャレンジして、やっていきます!