何も考えずに生きている人はいるまい
しかし何も考えさせられなくなってしまい
思考停止の果てに、意欲の湧かない人はいる
のあとも引き続きこのテーマを考える
四半世紀前あたり、未来ある価値ある人財たちは
大きな振るいにかけられ、人生を狂わされた人が多かった
企業と国は自らの生き残りを選択して多くの犠牲が出た
すべてを救うことはできない
政府が支援しようとしている就職氷河期世代の40代の人
ここの層を社会における正常なルートへ転換することは難しい
なぜならば、勝ち抜いてきた人の歩みにケチをつけるような政策と
受け取り、曲解する人も現れるだろうから
決してよくは思わず、差別的な視点が根を張るだろうなと思う
それでもよく考えてみてほしいのは、40代からサポートされて
ようやく人間らしい尊厳のある生活や人生設計を立てたとして
勝ち組とは20年の差が、覆せない、取り戻せない若さと時間の差が
横たわっているのだということである
もしかしたらもう子どもを持とうとも思わないかもしれない
自分独り、あるいは同じ境遇の人たちとパートナーの関係になっても
自分たちが生活できる分だけで、よしとしなければならないと
思ってしまうかもしれない
しかし、国の借金が増えようが
プールしてある莫大な年金の積立金を崩してでも
やるべきことだろうと思う
誰のための積立金なのだろう
淘汰されて残る勝ち組のための積立金?
将来生活保護へ転落する恐れの高い非正規困難層のため?
この世代やこの層を建て直すことが未来へつながらないか?
あとで同じように使うならば、いま未来のために使うのは悪か?
決まったお金だけ流通させて、この財布で辛抱しなさい
税金は取ります、物価もあがります、節約しながら
それでもお金を遣って消費をお願いしますとはナニゴトか(笑)
人間らしく歩めるのは資金や環境に恵まれた一部の人たちだけである
リスクを極力さけても失敗を回避しても、マイナスは回復しない
マイナスはマイナスのままふんぞり返って鎮座してる
いまある現状においてリスクを極力避けて先送りしてきた「平成」
いまのマインドセットでは、怖がってリスクを負わない人だらけだ
リスクの語源は「挑戦する」ということ
危険や失敗を恐れ、逃げ続けることではないんです
「ワタシ、失敗するので」と開き直り
挑戦していく価値は必ず何かを生むはずだ
ワタシには無理と高をくくっていた自分の自信の無さ
いつか笑える日がくるように
氷河期世代も同じラインに立てば、人間大差はない
やれること、できることも
やれない、できないと感じてしまう
どこまでいっても、安く、キツく、報われないと感じて
何もかもあきらめた人、ただ漂うことを選択した人も多い
同じパターンでこの世代を支援しようとしても絶対うまくいかない
国にも「挑戦する」意識をもって違うアプローチでトライしてほしい
批判なんてものは受け流すくらいでちょうどいい
うまく進めなくても、失敗しても「ガヤ」が騒いでも
揚げ足取りに奔走しようが、ドコフクカゼで
前へ前へ、進む意思をこの世代に自らが見せること
それがいまこの国には必要なのではないかと思うのです