クレームするという行為のホンネは何だろう?

不快感の発散が根本にあるのは理解しているだろうけど

その個人の発散が、SNSなどへの放出行為によって

世間が感化されてしまう二次的、三次的な被害を生む

この構造的な欠陥に社会全体が右往左往してしまっている



SNS上での拡散行為よりひどいのがマスコミ全体だろう

みえない影響力を考慮して企業だって守りに入る思考になる

たったひとりの一般市民からの苦情という感情の発露によって

それを真に受けすぎるきらいがあるのではないか

そうはいっても企業も大変なんですよ、と

傷のなめ合いでの慰め合いも飽きた企業もあるでしょ?



ネットがページの閲覧数を増やすことだけに応えようとするなら

その広告主を糾弾すればいいのではないか?とも思うし

広告主は逆に、そのような記事には広告表示させない、広告料すら払わんぞ

くらいの意思表示があるほうが企業のブランディングにつながる時代でしょう



一般市民レベルを全国レベルのにぎやかしに仕立てるのはマスコミ全体

人間のもつ嫌な部分、不幸な蜜に応えているという自負があるのかもしれないが

そのスタンスはいまの時代にはすでに成立しづらい状況になっている



誰もが主張することを可視化できなかった時代ならば

新聞等が報道して初めて知るというスピードの世の中ならば

このヤリクチや大義名分も通用したのだが

誰もが発信する時代になった現代では、マスコミ全体は

「同じパターンで同じように追ってはいけない獲物」に群がっている



初めの火種が小さいところから、大きくする使命感?(笑)の昭和時代

初めから燃え盛るところへ油を注ぐだけなんです、いまは

コトの種類によって火力の調整力を見せつけるのが腕のみせどころではないのか?



それに対して社会に根を張る私たち自身も問題アリだ

社会はもう少しわかりやすく乱暴でガサツで、人間味あるほうがいい

失敗して笑いのネタに互いに「する、される」くらいでちょうどいい

この感覚を知らない人が増えてきたからだろう



怒るところでクレーマーの仕事はほぼ終わってる

企業も本来は、申し訳ございませんで終わる

それが互いの引き際と、潮時を知っていたような感覚がある



ワタクシの見立てではクソマジメな学級委員タイプが元凶で

空気の読めない、ちょっと正義感の行き過ぎるあの気持ちのせわしない感じ

ちゃんとしようとしすぎる姿勢が他人にも自分にも足かせになる



人間と人間である、間違いや感情の上げ下げは当然あるのだし…

もちろんすべてに当てはまる話ではない、ってこういうこともキリがない時代

あまりにも外形のみを切り取り意図的な文言でまつりあげていく



ヒステリックにふるまいだすと企業もそれに対抗せざるをえなくなる

互いが武装解除せず、どんどん着るものが重くなる

「もうええ、もうええわ」とお笑い芸人に言わせない時代は

ダメですよ、ほんとにダメです



なぜそういう人が生まれてきたかは次回で考えてみます