年金財政は100年先を見据えてやってるらしいが

そもそも100年後、人間が生存しているだろうか(笑)

日本という国が体をなしているとして

私たちの子孫は納得してくれているだろうか



私たちは自分の生活に忙しい、他人や未来を考えて

何かを犠牲にするという気持ちは後回し、これがホンネだ

日々、月々、1年先、自分たちのことで精いっぱいである

これを否定するつもりはないが、もう少し心改めることはできないか



先人たちも自分たちのことを精いっぱい生きながら

つないできたことそのものが歴史であるだろうし

私たちより、ずる賢く生きてきた人も多かったのかもしれない

進歩するのは技術やモノだけで、心はよりよく進歩しないものか?



100年前とは比べものにならないくらい、働く内容は変わってきた

生きるため、食べるために働く、何時間でも時間も体力も惜しまず

やらなければ生きていけなかった時代を経てきた



手作業から機械による大量生産、そしてなんでも揃ってしまった

同じくして働く「主演」の座が人間そのものの動力からさらに道具を得て

人間の意思による機械操作へ変わり、そしていまこれから

人間の意思を介さない機械頼みに移行しようとしている



この善し悪しはまずは別として

人間の「手が空く」瞬間が訪れようとしていると捉えると

私たちはその手が空いた物理的な時間に何をすべきだろうか



これを自分の楽しみにだけ使うのはなんだか芸も知能も無さすぎる

AIが人間を超えるといわれているシンギュラリティ

その2045年まであと四半世紀ほどである



私たちはAIから答えのない課題を与えられているのかもしれない

さぁどうする?と聞かれると一番困るんだよ、と人は嘆く

全てをそんな人間に最終的に仕上げる予定のAIからの挑戦状だ

「時間あげるから考えてごらん?ムダにするんじゃないよ?」と



なんでもいいからやってみな?と猶予を与えているのかもしれない

まさに25年ほどの執行猶予つきのモラトリアム期間みたいなものか

このままいけば完全に骨抜きにされること間違いなし…

もちろん魅力的な意味での骨抜きではないのだけは確かだ(笑)



欲ばっかこいて結果的に踊らされてんのも

ずいぶん前からわかってるはずだし(どっかできいたな…)

私たちは自分自身の人生であると同時に、未来のために

社会を次の世代へつないでいく意味での「責任世代」であるはずだ(CMか)

人類の歴史的には後者の意味が重要だろう



「さぁーみんなで考えよう」

あぁなつかしの、SHOW by ショーバイ

AIからミリオンスロットで横取り40マンしなきゃね