いまのジブンはホントの自分が望んだ自分ですか?

社会や会社や家族が期待した、望んでいるカタチでは?

必ずしも自分がやりたいことを望んでいない場合が多いのでは?



子どもの時分からこれをやりなさい、これになりなさい

アレをしてはダメ、コレをしてはバカになるなど

いろいろと詰め込み教育時代からゆとり教育時代まで

根幹は変わらぬ期待をかけられて成長してきた

その影響は計り知れないものがあるだろうと感じる



なぜそうなるのかといえば、自分が過去に失敗したことを恥じて

後悔していて、我が子には失敗させたくないと願うからである

この考え方は親になればどうしても拭えなくなるものなのだろうが

振り返れば失敗した奴がいる、これは「ふつう」のことで

それがあなたの、私の過去であり歴史であるのではないか



「黒歴史」なるものに非常に敏感になったことも近年の特徴で

失敗したくない、失敗させたくない、恥ずかしくないように…

この思いが神経質すぎるほど強くなってしまったせいだろう



これでは自我も忍耐力も育つはずがない

あなたや私が経験したマイナスの地点から同じ経験を

辿らせてあげることも大事な教えではないだろうか



そういえば「私、失敗しないので」と

さっそうと決めゼリフを吐くドラマもあったが

よく考えてみたらわかるでしょう、そう言えるのは本来

失敗を積み重ねて成長してきた人が至った境地で、始めて言うセリフであって

失敗をしたくないノーミスで人生送りたい人が羨望するものではない



似たようなものでは「ノーミスで演技したい」

フィギュアスケートなんかで盛んに使われる言葉だが

人生や生活においてノーミスなんてありえない(みんな知ってる)

彼らが競技でするノーミスも、失敗を積み重ねて、積み重ねて

トライ&エラーを繰り返しながら…医師Xとおんなじですね



私たちの多くは小さなころから現在に至るまで

その時点での生涯最高の品質や環境に囲まれて育ってきた

生涯最高は年月を経ていくなかで毎年、随時更新し続ける

そして最高を更新していくなかで、最高の基準を落とせなくなる



この人間の史上最大のワナにハマると許せないものが多くなってしまう

現代人が必ず陥るワナ、最高を知るとランクダウンを許せない

タチが悪いのは自分自身では許せても、他人を許せないし

他人の目を自分が気にして最高に対して見栄を張ってでもついていく



ビジネスも最高を維持させようと小馬鹿にしながら

どんどんエスカレートしていくのではないか?

これは商売だから、で許されてる問題と少し違う

本人が自分で断ち切れないほど巧妙に華やかに魅力的に仕掛けてくる



みんなが揃えるものに並ぶ価値はそれほど大きいものではない

みんなと違う価値を見いだせた人生のほうが

より豊かに生きられる社会にこれからはシフトしていくはずですよ