仕事でもなんでも、正しくやろうとするより

楽しく前向きにやろうとする気持ちが大切ではないか



不正や不法を許せという意味でないのはもちろんだが

正しくやろうとすると、相手にも正しく要求する

相手には何かしらの事情があってその時点では

まだ正しくできていなかったとしても

自分の正しさを主張して相手を問い詰める瞬間

その人、気持ちよくなっているんじゃないか?と



この時点で正しさへの自分のアプローチの仕方を間違えている

正しくしてもらうことへの欲求が勝ってしまい

自分の主張や要求を通したい願望がさらに勝ってしまう



相手がどうなろうと、どういう状態であろうと構わない

自分が正しいことをして、同じように相手も正しくすべきだと

要求している自分は正当だ、という論理だろう



自分は正であり、相手は誤だ

正であることを主張して、相手の誤を責める

相手の感情に寄り添ってアプローチを

この人はしてみたことはあるのだろうか



相手が誤であることを、相手の立場になって考えてみれば

責められることで負の感情に支配されてしまうことは

誰だって容易に想像つくだろう

言われて嫌になることを、嫌になるようなアプローチで

されるとどう感じるか?

子どもでもわかる話ではないだろうか



私たちは嫌にさせるアプローチ以外を自ら考えもしない

教えてもらっていないとできないからであり

考えることを放棄させるテンポで日々生活しているからだ

いまの世の中、大事なのは日常の便利な速いテンポに

流されないために、あえて緩やかなテンポの空間を

自分や周囲の環境において、意図的につくり出すことだろう



この強弱の両方のテンポを知ると人は少しだけ

考えることの重要さに気づくはずである

手順やメソッドを勉強したって

その通りにうまくやろうとしたって

満足してるのは自分だけで

相手は冷製スープが時間経った感じ

冷たさも温かさも感じない



「相手を相手の立場で感じていない」から気づけない

数多あるコンサルが根本的な解決をしていないのは

解決するためのコンサルではないからである



ビジネスコンサルにおいては、そもそもが上から目線に

「なってしまうワナに落ちたまま得意げにやる」から

誰もついていこうとはしないのではないか



労働者が自ら腰を上げて前のめりになるような仕掛けがない

あったとしても魂胆が見え隠れしてシラケてしまう

誰かの手法を取り入れても模倣しているだけで工夫がない

だからワタクシはあえて手法を学ばない選択をする



「こうなったら、こうすればいい、そうしたらこうなる」

これは本当の正解ではないかもしれないことに疑いを持たない

「こうなったら、こうしても、こうはならないこともある」

そこが出発点になる



物事のシルクロードならぬ、気づくロードは

思う通りにはならない、ままならないものであり

その道は険しく長く長く、京都芝コースほど平坦ではない

辛抱強く付き合っていくなかで

お互いが気づいていくという関係性が

徐々に馴染むことによって、築かれていくものではないだろうか