先入観Aが強すぎる場合に何をすればBを選ぶに至るか?

どういうアプローチが有効か考えてみたい
 


人は誰しも失敗をしたくない生き物であるが

歴史を動かす一歩はいつの時代も

数多の失敗を積み重ねながら歩む先で

偶然を装ってフワッとみつかるように思う



昔の人たちは便利なものがないだけに

もっともっと頭で行動で、考え抜いて

打開しようとしただろう



いちいち細かいことの善し悪しも、あえて気に留めずに

その先を見据えながら、大局をみて思考を重ねていたと思う

当時の時点で考えられる損得に縛られると進まないし

いつの世も感情の壁は何重にも築かれて立ちふさがる



いまの世の中と違うのは情報の伝達の速度、正確性だろうか

瞬間のみを切り取られることはなく、人と時間を介して

少し荒熱がとれた状態で日本全体に染み渡っていたような気がする



曲解されて真意が伝わらない場合もあっただろうし

後世の人がより良い解釈を重ねてブレンドさせて

伝えていくべきものとして仕上げたシゴトもあるだろう



しかし、私たちの祖先や過去が正しいと信じてきたことは

その時代の状況での判断と普遍的な倫理観を紡いできたものとが

入り混じっているのだと考えられる



普遍的な倫理観は不変であって然るべきだと思う

問題は、その時代での状況判断で生まれたものである

その時点で最良と判断して行ったことの積み重ねが歴史だが

時代が変われば世界情勢も人口も様々な要素が当時と違う

技術の進歩、生活環境、自然環境の変化も当時とは違う

「一番偉い人へ、俺たちはいま何をするべきか」



私たちは習う、教育を受けて学ぶが、倣(なら)うばかりでは見誤る

昔は昔であり、状況と未来は現在の選択によって刻々と変わりゆく

当時の正しかったことの土台にあったものが、いま成立していないこともある

闇雲に受け入れ、考える時間を奪われるほど「速い乗り物」に乗せられて

消費させられるだけ、させられて「あとは知らない、よろしく」



先入観Aは必ずしも正しいとは限らない

私たちが学んだ内容は過去を参照している

すべてではないが、未来を意識していないことが多い



時代や状況が変われば、その状況に合わせて

何が最善か、何が「これからのために」正しい判断に「つながるか」を

常識にとらわれずに選んでいかなければならないのではないか



Bを選んだ未来はどんなものになるのか

特区をつくって試験的に試すことだって可能かもしれない

倫理的に瞬間的な善し悪しは生じるが民意で加熱させてはダメだ

報道も、口外もしない、特段の定めで超法規的措置でやれないものか

って想像もしてみる



実はコッソリ、日本のどこかで秘密裏にやってたりしてね(笑)

とにもかくにも新しい不安なことへ、日本人の精神構造上では

石の上にも50年いても意思はなく、意志も微動だにしない

公務員でお国のために壮大な実験も良いのでは?なんてな(笑)