「残念ですね~」って街頭インタビューは

いつも他人ゴトで自分の感情で話している気がしない

おそらくは可もなく不可もなくすることによって

(他人から)責められるのだけは避けよう

という気持ちが働くからだろう



ほんとに他人を気にしている社会であり

他人の没落が妙にうれしく感じる人がいるのも

実はほとんどは自分のストレスを緩和させて

自分自身を少しでも緩めようと

無意識にしているだけなのかもしれない



対戦や対立の関係にないのに自分という存在を

どこか、切り離すような感覚でもって

客観的な架空の自分をバーチャル上に投影させる



普段の素の自分では、社会人フィルター越しの

失礼警戒モードが発令している状態だから

「わたし、失敗しないので」では疲れるのだ

ここで楽にできない、警戒心を解けないから

バーチャルな世界に逃げ込むのだろう



自分を逃がすスキマ産業が発達したから

年々魅力的な逃げ道を我々に提供してくる

これが昔と決定的に違うことでしょうね

昔は肌感覚がある世界がリアルであり

それがすべてで、それが自分だった



いまは現実かバーチャルかわからないような空間で

自分を「演じて」アイテム使って、スキル習得して

ゲーム越しのリアルみたいな世の中になってしまった



自分で思い描きながら演じているのが、実は現実の世界で

自分で思い描きながらリアルな感情が出るのが

バーチャルの世界になってしまっているのだろう



儲かるからといってビジネスにするほうも

社会悪への一翼を担う立場にいるのを知りながら

生活するために、大義名分をかかげていざなう

怖いのはどの年代の人間も巻き込み可能なことだ

年齢制限なしで、人間の欲を刺激し続けていく



私たちには記録的な天災事変が「自分の身に」起こらないかぎり

自分たちで見つめなおすことは難しいところまで

ある意味「クスリ漬け」状態と何ら変わらない側面をもっている



社会が変わるのは難しいこと

これはみんな誰もが知っているし

このままじゃマズイだろってこともみんな思ってる

それでもなにもしないし、できないのが私たちである



先送りしながら、ソノサキで嘆き悲しむのは

あなたの子や孫

これも現実になります