「上がつっかえている」
この現状にガマンを強いられるのは
若い時代のあらゆる場面での宿命でもある
しかし時代が進むにつれて
上の層が厚くなって
よう肥えてくるのは世の常
成熟のあとは必ず衰える時を迎える
高齢者の施設と同じ状況でシニマチ状態
思うに、中小企業もワタクシのいる社労士業界もそうだが
たぶんほとんどが自分の世代でこの稼業は終わりにする気持ちが
強いのではないかと推測している
時代が風雲急を告げる感覚は誰よりも感じ取っているだろう
これはいまに限らず、第一次産業の子が第二次産業へ流れたときも同じ
つまり一次の子が一次のままでは、ままならないと悟ったから
二次へ、そして三次へ産業が流れていった
二次の子だけとは事情が異なり、絶対数がその分増える
みんなそこへこぞって集まってくる、群がってくる
そして高齢化で上も詰まってくると飽和状態になり
保身を選択するのは無理もないはずだといまは思う
保身と飽和で弾かれた人財はホントは磨けば光る人もいるが
時代の流れにすべてが、ままならないまま漂うだけで進まない
そして、無菌室で育ったサラブレッドを称する人材だけが
ようこそ、と勝ち組のパーティーへ迎い入れられる
社労士業界とて、2代目まではいいが3代目は内外の
あらゆるポテンシャルが低下していると予測できるので
そういう地盤を継ぐ時代ではなくなってくるでしょう
お金払って、やるほどの価値(業務、人柄)じゃなくなる
若い人を育てることは、すべての状況にかなう理屈ではない
継続して企業が時代を渡っていけるだけの「何か」を
備えた人や企業だけでしょう
その視点でみると中小やマイナー士業に「人を育てよ」とするのは
ちょっとニュアンスが違うんですよね
文字通りの個人事業主であるので
世代が変わる際に代謝を上げていくには
新しい風を自分で吹かせるしかない
つまりは業種問わず、立ち上げては消え、立ち上げては消える
そういう活性化で全体のエンジンが稼働している状態
これが零細というか一般的な事業の宿命だろうと思う
みんな誰かの下に入って、経験を積んでという理想像を描くが
そんな願いはほとんど叶わないし、全体像を知れば群雄割拠であり
自分で立ち上げては消える、戦国時代そのものを恒常にしているので
自分で切り拓くほうが、理にかなっているともいえる
だから企業という過保護な親がいるなかで育ったならば
扉を無理に開けて荒波に身を任せるリスクをさらさないのも
賢明な判断であると思う
玉手箱は大概ハズレであるし、いいことばかりではない
うまく継承できたとしても「見えない何か」が違う
人は前任者と比較したがる生き物であり
「自分の色」で、あえて違う色を出していかないと
魅力という意味では、相手の評価はかなりトーンダウンしてしまう
年齢に関わらず、くすんだ肌のようにみえてしまう
そういう「自分の色チャレンジ」を代々上回っていかない限り
自分の代が歴代最高でない限りは、続かない世界なのだろうと思う
いうがままにリスク回避するのも人生であるし
ままならないまま、もがいて打開の機会を狙うのも人生
ただ、ままならないまま、ままならない自分で
抵抗もせずに沈むのだけは、ままにしてはならないと感じるのである