「許す、許さない」を考えてみる
時代のキーワードですね、これが様々な問題の根底にある
そういっても過言ではないくらいだと感じます
許すとは、緩ませるという語源からなっているそうです
こころを緩ませることが許すことにつながるのだろう
対相手、について許すことを考えてみると
自分が許せばコトがうまくすすむことも理解はしている
しかしそこで懐疑的になることがある
それは相手の側が自分が譲歩して許していることを
気づけているのかどうか?ということではないか
相手の悪いところもある、しかし自分は許すのだ
その理屈や気持ちに相手が気づけているのか、ということ
この時点で「許すこと」とは双方向による共感がカギになる
相手が気づけるような言葉で諭すように補う接し方も必要だから
人によってはめんどくさいことなのである
めんどくさいことを回避させる風潮、時代、生活環境になって
よりいっそう、他人の所作によるストレスを感じてしまう
その環境のなかで生きていることをまずは自覚してほしい
そのうえで、相手を許すという行為が多くの実りを生むということ
そしてアンガーマネジメントではないが、ストレスに感じたとき
少し、間を置くこと
数秒すればちょっとずつ治まる感情なのではないか
そうすれば、もしかしたら自分がストレスに感じたことも
実は自分のほうにも悪い部分があったのではないか?
あるいは、怒るほどのものでもなく一歩譲って許すことで
相手のためだけでなく自分のためにもなるのだと
脳内変換することは可能な気もする…
やさしくされたり、許してもらえたら
本来、人間は次に自分が同じ状況になったら
やさしさを返そうと思うようになるはずなんです
ところが敵視するような姿勢をとってしまうと
今度は相手も、許さない姿勢でこちらに返してくる
このマイナスの掛け合いはプラスにはならないんです
マイナスをかければ、マイナスでこちらにブーメラン
プラスをかければ、プラスでこちらにブーメランなんです
相手が気づけない場合もありますよ、もちろん
だからといって一生、気づかないとは断定できないはずで
相手が対応したその瞬間が、その人のすべてではないのです
現代人は気づきのセンサーが著しく微弱になっているし
気づくまで待てないのも現代病のひとつだと思いますが
ここはひとつ、ホコをおさめてみてはいかがでしょうか
もうひとつ別の視点で考えると
相手を許せないのは、自分にも原因があって
相手をその瞬間だけで評価し、判断を下すと
自分のなかで「取り消しできなくなる」ワナにはまります
謝る気持ちがこころにあっても、謝ることができなくなる
なんか「負け」だと思ってしまうんでしょう
人間関係を複雑にしてしまう原因は
こんなところにもあるのかもしれませんね