世代間のギャップについての考察を…

さんま御殿でもやってましたが

単純に20代、40代、60代と分けると

それぞれの付き合い方の違いが

時代によって変わってしまっていて

そこがかなりのキーポイントになるのではないか



いま現在の20代と40代の関係では

20代に合わせようとして、40代は降りていくんですよ

しかし、いま現在40代の人が20代のとき

つまり、20年前に同じ20代と40代の構図にいた

いま現在の40代と60代ではどうだったか?



これはおもしろいことに60代の世代は

降りてこないんです(笑)、一般的なイメージですけどね

さんま御殿で出演していた20代のレスキューの子

40代の陣内、大久保、60代のさんま

これをイメージしてたらわかるんですが



さんまが40代のときは20代の陣内に対して

降りていこうとはしないんです

むしろ自分という基準を確立していて

そこに築き上げてきた経験と自信があるから

泰然自若で構えてられるんですよ



実力で上がってきたら認めてやる的な雰囲気で

いい意味で「獅子の子落とし」的な構図が

先人たちから脈々と受け継がれてきた好例ですね



これが通じなくなってきた原因は何か?

裕福に便利になってしまった、成熟した社会もひとつの原因です

あれめんどくさかったな~(笑)的なことが

結果的に人を成長させて、あれがいまの自分に役立ってる

という経験値が少なくなってしまうんです



つまりどんどん困難を経験する機会を奪っていく社会なんです

便利になると「いまはアレでできてしまうんだ…」という

さみしいような哀しいような、ノスタルジックな感情になります

なんでも叶えられる環境を与えて「キレイに正しくリスクなく」

に社会全体も育ってしまってるんです

その環境を子どもにも与え始めたのがいまの60代であり

その時の子どもがいまの40代なんですよ…(笑)




オセロの白側が「キレイに正しくリスクなく」の社会と仮定して

オセロの黒側は、ブラック企業のような「キレイゴトじゃいられない」

そういう社会と仮定すると



40代と60代は●で育ってるんですが

20代は同じ成長時期を〇で育ってるんです、親の影響でね

職場や社会では40代や60代は●の姿なんですが

家庭では○なんですよ、自ら手を染めてるんです



これはやはり難しい問題ですが自己矛盾してしまうんですよ

○と認めて育った20代にはそれを●にひっくり返すのは

かなり難しいことなんだろうなと推測します

彼らは両面白く塗られた○の裏表だけかもしれません


40代や60代は最近までは○の裏の●も、うまくひっくり返す

メンタル的なしなやかさもあったはずなんですが

○ばっかり主張する「みえない集団」に追いやられるかたちで

ひっくり返し方を忘れたのか、両面白に塗りつぶされてしまったのか



カギとなるのはこの40代と60代の世代なんですよ

良くも悪くも20代を○だけにしてしまった責任はあるはずです

●を嫌がらずに教えていたら、あえて社会の●を教えていたら

と思ってしまうのです