自分が何十年先も生き続けるとマインドセットして
人生を歩んでいる人が多すぎやしないか?
いつ死ぬかわからないし思いきっていくほうが
最後の最期、後悔しないのではないのか?
こういう仮説にたって思考してみると
逆転の発想はみるみるうちに広がっていく
そんな感覚で書いてみます
少子高齢化を促進するひとつには「長生き」があるが
人間、そうはいってもいつ死に直面するか
わかったものではない
長生きをする前提で、生活も消費も周到に
「組み立てられた」枠にはめられているのには
人間、なかなか気づかないのだろう
とは言っても、逆に
いい人はなぜか早く死んでしまい
悪い人がなぜか長生きしてしまう
根拠があるようでない話もなんとなく
腑に落ちるような、不思議な説得力がある
意外と、こころやからだ、お金も使って遣って
「活性化」することで、うまく回りだすのかもしれない
将来を不安視すると、貯蓄に意識が向く
ムダ遣いしないよう節約し、全体として消費が冷え込む
消費が冷え込むとお金が回らないから、経済も活性化しない
自分のお金を控えて貯蓄に回し、他人には遣え遣えと吠える
「しちならべ」でパスばっかりしてるのと似てる(笑)
日本人の思考にそういうバイアスが、カタヨリがあるから
国もなかなか思い切った策ができず、やろうとしても国民は
消極的で周囲の出方を気にして、究極の引っ込み思案を囲う
そういう国民性は国も十分に理解をしてるはずだ
だから仕方なく税金や物価で「真綿クビ作戦」になってしまう
本来はしたくないが、お金も引きこもって出てこないから…
損したくない思いが強すぎて使わず、出さず、ケチる
タンス預金が潜在的にどれだけあるんだ?(笑)
ほんとはお金をダンスさせるくらい動かさないといけないのに
我が子や孫世代に良かれと思って貯めるのも
もしかしたら自分の不安のための利己的な行為かもしれない
どんどんお年寄りもお金を遣わせるよう
年金を商品券的なもので、ばらまくほうが社会全体としては
逆に活性化する効果があるといえなくもないのではないか