組織を全体から、自分でない視点で見つめなおそう

何か変化が起きるとき、その変化に対してどのくらいの範囲で見てるか

自分の関わる環境で見て、評価していることを

別の視点でとらえなおす工夫はしているのだろうか?



自分の関わるエリアではこう変化すると予測はしているが

実際には自分の周辺だけでなく、その組織のもうひとつ外側や

さらにその外側や相手先の視点で見ることができているか

視点をより大きい、俯瞰で見てとらえる必要がある



有給休暇を消化させる義務が課せられる、さぁどうするか

そのとき自分の関わるエリアでの視点でみると

「迷惑をかけてはいけない」との心理が内外に働くだろう

そして取引先など社外へ迷惑をかけないようにと

自社のフィールドの中だけで精算して、清算しようと試みる



実はそうしてしまうと、ただただ自社の組織内で

すべてがタイトになるだけである

自社をタイトにして相手に迷惑をかけないという

不文律の「持つべき美徳」が延々と時代を超えて受け継がれてきた

これが「常識」である、侵せない、侵してはいけないものだとして



果たしてそれは本当に、いまの世の中でも守るべき常識か?

「迷惑をかけてはいけない」という視点は

絶対視しすぎると組織内がタイトになり、雰囲気も含め

ピーンと張り詰めるタイトロープのようになる

自助努力により生産性の向上は見込める部分も確かにある

しかし、効率化ばかり続けても様々な限界は必ず見えてくる



一度、「迷惑をかけてはいけない」という視点を疑ってみてはどうか

しちゃいけないという刷り込みに近い常識は決してタブーではない

自分たちが当たり前と思っている視点の縛りを外してみるのだ



先人たちが積み上げてきた無自覚のうちに流れ続けている常識が

時代の変化や技術の向上、業務量の増大などによって

常識も守り切れなくなることもあり得るのではないだろうか

それは負けでも妥協でもない、おそらく進歩に近い選択をすること



タブー視されてきたことをどこまで考えて、守り続ける選択をしたのか

自分たちの視点を否定することは非常に難しいことである

偉くなれば偉くなるほど、他人の意見にも傾聴できない環境が

自分の内側にも外側にも広がってしまうのは哀しいことだ



自分たちのこだわりにして、自分たちをタイトに縛ることを

少し美徳に感じる意識は、倒錯に近い感覚であり

現代においては夢物語でもあって、現実的ではないはずだ



手綱を自社と相手先が共に緩めることもひとつのアイデアだ

ずいぶん前からその転換期は来ていたが、こだわりを捨てきれず

タイトに自分たちの思考も縛り続けてきたのだろうと感じる



簡単にはいかない、調整の難しいこと、賛同も得られない

結果的にあきらめる・・・この構図はもう数十年見飽きてません?

極端な話、発想を変えれば迷惑を「かけあえば」相殺されてゼロです

お互いに緩めてみれば、本来はもっと長いロープで

相手ともつながっているのかもしれません



自分も相手も、「力(ちから)」を保持してる

そこに文字通りの「刀(カタナ)」がある

相手がカタナをおろさなけらば、こちらもおろせない理屈も

もうこのへんで終わりにしないと先に進めないし

互いにカタナをおさめることもできないのではないか



考えましょうよ、もう少し大胆な発想とアイデアで

まだまだ変えられることがたくさんあるはずです