感のいい、間のいい、勘のいい人でありたい
「勘」は物事を判断するときに直感的にはたらくもの
「感」は少しひねった見方をしてみたいので
感じ取る能力であり、受け身で現象を感じることではない
鼻がきくというイメージに近いもの
「間」はゴロ合わせ要員だが、タイミングの意味での「ま」
距離的な「あいだ」などもある
説明不要な「勘」はもっと動物的な感覚に近いものだろうか
常識にとらわれず論理的にはAだけどここはBだ、のパターン
競馬ではよく使う、大事にしてる感覚(笑)
「感」は相手の受け取り方に主導権があると思われがち
たとえば「あの人は感じがいい人だね」のようにではなく
相手の雰囲気を「ほどよく」自分が感じ取れること
「間(かん)」については人との関係において
良い間を持てること、推し量るに近い技量だろうか
いずれも経験を重ねながら、あるいは少し自分で意識しながら
身につけていくものであって、誰かに押し付けられて
感じるものではないものだろう
ただ、こういう感覚が人との距離感を欲もすれば悪くもする
そこまで到達できていない人が多いから
近年は傷つけないことばかりを気にしていて
傷つかずに成長した先には、傷つかなければ開かない扉がある
そこを突き破る一歩が足りなくて立ち往生
やってみなけりゃわかりませんよ
どんどん挑戦して失敗してを繰り返し
みんなそうやって突き破るんだと感じます
たかが、社労士ですよワタクシも
しかもいまは名ばかりのね(笑)
でも制度の枠だけで考えてしまっては
衰退の一途ですよ、間違いなく
社労士の答えは法律の答えであって
あなたの答えでもなく、顧客の応えでもない
私もあなたもまだまだできる
みんな同じじゃ、つまらなすぎるでしょ