知識から新しいものが生まれないのは

すでに誰かがやったものの後付けをずっとしてきているから

燃料は自分で開発できないために他人のものを

かき集めて使っているが今はほとんど使いつくしてしまった



いつの時代も誰かが生み出したものを借りパクしながら

1から2へ、2から3へ、あるいはすっ飛ばして1から5をつくる

0から1を生み出すのは不得意だが、誰かが指し示した方向性を

発展させていくのは得意になるよう教育されてきた賜物だ



新しいことはなにも、まったくの0から生まれるわけではない

1に満たない0.1たちをうまく掛け合わせて、新しい配分や

組み合わせ方を試行錯誤して生み出していくものも多い

つまり見方次第で、ひらめきやアイデア次第で1にすることは

可能であるはずだ、と感じる



AI時代になっていくと生き残りのために必要なのは思考力だ

そういう論調が多いのは「0.1のお題」たちを使って

面白いことやってみろ、という大喜利であると大胆に解釈してもいい



皆さんは0.1をどれくらい意識しているだろうか

誰かの流れに乗っていては0.1がどれだけ身の回りにあるか

それすらなかなか気づけないものだ

気づいたところで「教わっていないこと」はできない

と見ないふりをして「教わったこと」だけを追いかける



これほど楽なものはない、しかし楽しくはない

それが生きるってことだよ、と分別のよさに浸るのも

もしかしたら通じなくなる世の中になるかもしれない



私たちはまだまだやろうと思えば、可能性は広げられる

やり方を待っていないで、やり方にこだわらずに

失敗しながら動くことがカギであるはずだ



なんでもビジネス視点でアイデアを育てないほうが得策である場合もある

ビジネスでないところから始めることが結果、ビジネスにつながる

そういう視点を持てない人が多いのではないだろうか