「なんかよくわからないもの」について、考えることはどんな作用を生むのか
知識でカバーしてきたものは既知の「わかっていること」について
知識として学ぶが、言ってみれば模倣しているのにすぎない
そこからは飛躍するようなアイデアは生まれにくいといえる
ワタクシも雑多な散り散りの文章を何も考えずにとりあえず頭の中から
腕をつたって文字に降りてくるものをただ思いつくまま書いている
その視点に我ながら感心することもある(笑)
こういうときはものすごく、おもしろいし楽しい
自分が天才なんじゃねぇかと過信してしまうところも
もう一人の自分はすこぶる冷静で、客観的にみている
発想については、あらかじめ余分な情報は意識的に入れない
たとえ入れていたとしても暗記できたり覚えてたりは無理(笑)
知識から引っ張ってきているだけの可能性が高いものは
ただの、知識でしかない
本を読むことが多いのは事実そうであるが、内容をくまなく信じ受け入れて
自分にしみ込ませていくような感覚では読まない
むしろ「そのとおりにやるものか」「それはそれ、なるほどね」と
少しエラそうに眺めているフシがあることに気づく(笑)
ただ知識を得るだけの本は論外
読むのは自分が思考するときのヒントになるようなもの
しかしそのまま自分に入れようとはしない
そのヒントをもとに自分で思考してアレコレと
本に書いていないようなことを書いてみたりする
でもよく考えてみれば、人間として同じ状況にいるのだとしたら
似たような考えにたどり着くのも当然ではないだろうか?
なにも難しいこといってるわけでもなく、同じ材料で考えての結果
同じ状況で、同じようなことに疑問をもち、考えていれば
同じような見解にたどり着くことも十分あり得るのではないだろうか
同じ思考を先人たちもしていた、結果として知らず知らずのうちに
同じところへたどり着く、こういうこともあるのだと感じる
知識に依存しているほど調べに調べて真似したんだと言うが・・・
なにか新しいコトをやるときも、その分野の専門家はあえて不要だ
専門家は意識せずとも残念ながら知識というウイルスに感染している
そうすると素人も知らず知らずのうちに感染させられてしまう
素人が一番、斬新な新しいアイデアを生むことにも
おそらく世間はなんとなく気づいていることだろう
しかしどうしても知識として洗練され、体系化されたものや
偉い人が言った、書いたものに引き寄せられてしまう
無理もない、そうやっていままで勉強してきたからだ
専門家は知識というルートからは脱線することはどうしても難しい
素人は知らないからこそ、脱線できるし違う視点の斬新さも持てる
知識によって武装した人より、武装しないはだかの素人のほうが
人間としてのポテンシャルを引き出しやすいのかもしれない
新しいことを始めるときにはぜひ、専門家以外のアイデアを重視すべきです
素人同士でやることのほうがオリジナリティが生まれやすい
わからないほうが面白いし、アイデアは生まれてくるはずですよ