社会がどんどん窮屈になるのは誰のせいか?

それは快適にしすぎた、認めすぎた社会自身のせいでもあるだろう

社会は不快なこともうまくクッションで吸収して

なんとなくまとまる大きな団体をなしている



この団体をよっこらせっと動かすのはシンドイものだ

動かそうにもなかなかで、正論だけでは動かない

欲が動く気に入ったことは、恐ろしいほどの加速度をつけて広まる

欲が動かない気に入らないことは死んだ目をしてスルーする



ただ、広まったからといって正しく直すまで人は待たない

こうしたほうがいい、でも足かせになる問題がたくさんあるから

思うように進まないことが起きると次のエサを探し始める



目移りさせるように様々な課題をこの団体に挙げてくるが

何ひとつ納得のいく解決はしないのが特徴だ

みんなの主張を吸い上げて、そうですね!を繰り返すが

「いいとも」の観客のように上っ面で感情が薄い

「社会のガヤ」もそうですね!でヒトシゴト終えた気分で

次のそうですね!を探してあっちいったり、こっちいったり・・・



世の中がある程度、成熟度を増すと単純に動かなくなるし

枝分かれして叶えてきた世の中の快適スペースもなくなってきた

全部の願いが叶うことはないと気づいている

でもやりようがなく、あちこちと発散して回っているのだろう



おそらく時代が進めば進むほど、その時点で一番難しい判断を迫られる

大事なことも難しい判断のなかで、先送りにされてきた

「なあなあ」のまま、自分のことだけを守るという大義名分で

この数十年、社会はだましだまし進んできた



少子高齢化という未来の課題には、全部を救えないという現実が伴う

あれもこれもと叶えてきた歴史は沸騰し続ける鍋のようだ

煮詰まり始めてもまだ手を打てない、あれもこれもしてはダメ

みんなを傷つけないように、みんなで負荷を少しずつ分け合う



もう鍋は焦げ付き始めている

外国の水を足そうとするが、急場しのぎにすぎない

ふやけすぎた老人を捨てられやしないのは倫理や人情だが

かといって、老人が社会の代謝を悪くしているのも現実

鍋奉行、何してんの?



鍋の底は焦げ付き、一番上の表面はふやけてクッタクタ

その下でみずみずしかった具材たちは身動きをとれないまま

上からのクッタクタの重みと、下からの焦げ付きのなかで

もがき苦しむだけなのだろう



もう一回言う、鍋奉行はどこへ行った?

違ううまい鍋でもつついているのだろうか