大事なことは誰も教えてくれない、そうなんですよ教えないんです

なぜ教えないのか?それは「あえて教えないで気づかせる」

あるいは「教えてあげることが難しい」などもあるだろう

これは教える側だけの問題ではなく、教わる側の欠陥にも問題がある



たとえば「各自が事前に理解しておく」前提があれば

その理解のために必要な知識を学習しておく、となる

その学習は知識を浴びてきた、優秀とされる人ほど得意な分野で

教わって知識を刷り込んでいった挙句、応用がきかない人間に育つ

知識で学習する人たちは、ことさらに受け身になりやすい



一般に、何かが欠けるという立場の人は別の何かを自然と伸ばしている

どういうことかといえば、たとえば何らかの影響で目が不自由な人も

目が不自由なぶん、他の器官が鋭敏になり発達を促し感覚が磨かれて

ピアニストになったり、R-1で優勝するピン芸人になったりする



これは何も不自由になれという話ではない

「ないなかで、ないなりに、なにができるか」である

生まれも育ちもよい家庭、あるいは平均以上の中流の家庭のように

ある程度、なにもかも与えられて環境が整ったなかで成長すると

自らの意欲で興味をもって、何かに挑戦する気持ちは生まれにくい



天は二物を与えず、というのもやはりあるんだろう

五体満足、環境も申し分ないなかで育つとなかなか自分に負荷がかからない

何かが欠けるからこそ、人は大きく才能のかけらを伸ばすことができる

劣る部分があるからこそ、危機感を持ち努力するし

劣る部分で争わないで、別の部分で伸びやすい道を選択している



どこかで横並び意識にとらわれたり、無難な選択をしてしまいがちな人は

その伸びやすい部分に気づこうとする一歩を踏み出さないのだ

たとえ五体満足であろうと、なかろうとそれぞれに才能のかけらはある

「大事なこと」に対しては自分で気づかないと動かせないし、動けない



世の中の圧倒的多数は、なきゃないなりにやり方を探す人

それに気づいて、見つけて伸ばして、地位を築いた人が

自分自身とその未来を切り拓いていくんだろうと思うのです