劣化か?味か?

劣化するというのは見る側、受け取る側の主観が大きく作用する

芸能人やスポーツ選手など、人間であるがゆえに言われる言葉

劣化と評価する側は昔のかつてのイメージにとらわれてしまい

なかなか現実を受け入れないタイプが多いのかもしれない



そもそも衰えていくのは、人間のおもしろさでもあると理解している

若い頃のイメージの自分自身を捨てられず、できなくなる、老いることを

肯定できないのは「下がる」自分を認めたくない、器量のなさの証拠である



自分のなかで肯定できないこと、認めたくないことは

どんなことと関係しているのだろう?

この心理を巧みに利用しているのが美容コスメ関係のビジネスだろう

自分のことを他人から悪く言われたくない、とは誰にも最初はある



しかし人間くさいナチュラルさがない風貌とともに

「不自然なつくりもの」が出来上がることに気づいていない

なんとも奇妙な違和感とともに、満足してるは本人だけ

そういうのが出来上がる



味というのは、どんなもんだろう?

味のある役者や芸能人などは積み重ねたものがにじみ出て

「いい感じに枯れている」雰囲気が漂う、それを見る自分も

若い頃を知っていて、と同時に自分も年を重ねてきた

時の流れを感じながら、あの頃はあの頃という割り切り・・・

互いに年をとったもんだ・・・と微笑みをたたえながら

その笑顔には嘲笑ではなく、ねぎらいの温かみがある



そこには変わりゆく自分と他人を認め合うやさしさがある

言われてみたらわかる人がほとんどだろうと思うが

日常の不平不満が、つい口を突いて指先を経由して出てしまうのだ

一歩踏みとどまることができないし、予期せぬ速さで自分の手を離れてゆく

それを可能にしてるSNSやネット環境に操られているかのように



実はこの一瞬の感情のハケグチはいつの時代もある

ひとむかし前の酒の席での愚痴こぼし、日常の不平不満を

吐き出しながら誰かに聞いてもらって日々のストレスを緩和していた

それはその場で、その場かぎりで発散するもので

誰も他言しない暗黙のルールがあり、それをつつき合うのは野暮だと

理解していたのだが・・・

いまのつつき合う社会はどうだろう?



日々、自分を満たす環境下にいると嫌なことへのストレスが

より一層ストレスに感じてしまう、これが現代の病の根本にある

私たちが良かれと思って生活や社会を豊かにしてきたことが

逆に私たちの生き方にストレスを与える代償があるのだと

気づかなければならないのではないか