人はどうして他人とすれ違うとき少し不機嫌そうな

顔をすることが多いのだろう?

まったく知る由もない人と日々、何処かしこですれ違っている日常

変にニコニコしてても警戒されるが、逆に何か警戒されてるような

表情をすれ違いざまに、自分の視界に入ってくることも

あまり良い気持ちはしないものである



都市部においてはなおさら、この傾向は強まるだろうと思うが

ちょっと何かたずねたい人もいるだろう

その時、自分がそんな不機嫌な顔でいたくはないなぁと思う

自分が同じ立場で、何か困っているとしたら

なるべくなら、たずねてみたいと考えるが

不機嫌そうな人には声をかけづらいなぁと感じるだろう



でも、不機嫌そうな態度をしておくことで、話しかけてくるなよという

意思表示でその手段をとっている人がほとんどだろう

それだけ面倒が嫌になってる社会なのだと実感させられる



面倒なことを簡単に済ませるために、便利なものは生み出される

わからないことはスマホで何でも調べられる時代であり

あとは自己責任で、とするのがクールなんだろうか(笑)

社会自体がコミュニケーションの形を変えただけではないか

そう考えるのは単純でおもしろくない



よくよく別の視点で考えてみると、コミュニケーションを自ら拒絶

しているだけなのではないか

昨今のさまざまな凶悪事件が情報として刷り込まれているせいでもあろうが

それにしてもあまりにも不機嫌すぎる



だからこそ自分はニュートラルな感じのかすかな微笑みをつくるようにしてる

若い学生のころは「なんか怒ってる?」っていっつも言われたくらい

自分が不機嫌な顔をしていたことも影響してるかもしれません(笑)



笑うこと、微笑みを浮かべるだけでお互いの見えないガードが崩される

話しかけやすい状況がうまれるのだ、おそらく・・・

しかし互いに不機嫌を漂わせていれば、見えないガードは

より強固なものに変わってしまうのだと感じる



微笑みを携えることで、自分も相手も少しだけ

やさしさを取り戻すような気がする

少し前の時代まで、日本はもう少し笑っていたはずだ

心に寂しさをかこっていても、他人には見せまいとした

ただ寂しさを見せまいと笑顔で振る舞うことで

他人の側もいろいろと感じ取ることができた



その相手へのやさしさが、相手自身の心にやさしさを生む

そして相手のやさしさが自分にもあたたかく返ってくる

そういう社会であったのではないか

わたしたちは、もう少し微笑むべきなのかもしれない