書くこと、話すことについて考えてみたい
自分で時間調節が可能であることが多い
まず頭のなかに浮かんだことを文章にして可視化する
その時点で、頭のなかでの視点や考えとは
ピンポイントで合致しているとは限らない
その書き出した文章を自分で読み直し、推敲した結果による
つまり、一応の完成までに時間をかけることができるものである
では、話すことはどうだろうか
話すといっても、事前に書いたものや用意したプランをもとに
しゃべったり読んだりするものではない
何も見ずに、何の情報もないまま
テーマについて思いつくまま、しゃべるということだ
これは頭のなかからその視点について
ほぼダイレクトに言葉として降りてくるものである
不思議なことに、同じ「言葉」を使っているのに
時間のかけ方が異なるだけで少し難易度が上がる
いや、むしろ大幅に難しさが増すと言ってもよいのではないか
ワタクシはいま、言葉を降ろして文章にして書いている
何の脈絡もなくただ思いつくままに
この頭のなかでの思考のルートを整備して
走りやすいように「思考作後」している
作った後にも、思考するのである
そうやって進めていくなかで頭のなかとの精度を上げていこうとしている
ここ一年、こういう思考を重ねながら試行錯誤することによって
自分のアウトプットの精度は、手前味噌ながら上がってきたと自負している
しかし問題は、ここから先である
「頭」⇒「書く」というルートは徐々に走りやすくなった
こまめに繰り返し整備しながら進めてきた
もちろん天候に左右され、走りやすいときも、走りづらいときもある
もうワンランク上にいる「頭」⇒「話す」というルートは
まだうまく走れてはいない
時折、伝わらないニュアンスのもどかしさやイメージの言語化の難しさに
眉間にシワを寄せて悩む、悩む、うなり続ける・・・(笑)
当然、初めからうまくいくなんて才能もないし、そうそうできるもんでもない
だからこそ、何度でも話す、しゃべるを繰り返しながら
そのルートを整備し、あるいは開拓していかなければならない
それが、他人と違う強みになると逆算しているから
みんなができそうで、できないことをできたほうが
できるけど、やらないことをしたほうが
違いをつくれて有利にもなるかもしれないから
これは社労士ではなく、人としてね(笑)
果たして、「自分はどこまでできるのか」「どこまで自分を高められるのか」
自分の頭で自力で見つけてこそ、おもしろい
習うより慣れよ、でこれも切り抜けていこうと考えている